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2009年10月06日

織田信長が死ななければ・・・

一般的に言われている事ですが、歴史にもしもはタブーとされてます。

しかしながら、そこを考えるのもまた一興とも思われます。

今回は、織田信長が本能寺で死ななければどうなったか?
を考えたいと思います。

本能寺の変(1582年)当時の織田軍団
柴田勝家 北陸方面担当
滝川一益 関東方面担当
明智光秀 ノルマ達成 空き状態
羽柴秀吉 中国方面担当
織田信孝 四国方面担当
丹羽長秀(信孝補佐)
という布陣。

恐らく各方面は2年の内に平定されたと思われる。

この体制で、東北、九州の制圧は降伏も含め約1年。

つまり、後3年あれば日本は平定できたのでは?
と考えます。
(信長5352歳)

その後、果たして信長は世界に打って出ただろうか・・・?

私の考えでは、昔は世界との貿易により、利益確保を考えると考えていたのですが、最近ではやはり打って出たと考えております。

打って出る根拠としては、巷で言われる通りどうも彼は神になろうとしていたのではなかろうか??と思うからです。

彼はバテレンからの情報により世界を知っています。
日本がちっぽけな島国という事も理解しております。

しかしながら、旺盛すぎる好奇心を持っております。

他の国を見たいという欲を抑えきれないでしょう。

他の国へ行く一番手っ取り早い方法は侵略です。

恐らく韓国へは出陣したでしょう。

秀吉は韓国侵略に失敗をしましたが、信長ならばどうか?と考えると成功の可能性が極めて大きいと考えます。

秀吉の場合は徳川家康、前田利家等々、大陸へ渡るのにああだこうだ言って行かなかった名将がいますが、信長に果たして通じるかどうか・・・。

結局海を渡るでしょう。(もちろん秀吉も)

羽柴秀吉、徳川家康、柴田勝家、伊達正宗、上杉景勝、島津義弘、明智光秀・・・。

そうそうたるメンバーですね。

伊達、上杉、島津等は譜代のメンツに負けないようにここぞとばかり働くでしょうし、譜代のメンバー(家康含む)も負けじと働くでしょう。

そうなると韓国はあるいは1〜2年で制圧できるでしょう。

しかしながら、そのあたりで信長は5554歳となります。

恐らくよく生きて後10年でしょう。

どれだけ順調に攻めても河北(黄河以北)を取るのが精一杯では?と考えます。

信長の死後は信忠が継ぐ訳ですが、他の大名を統率する力はないでしょう。

そのまま河北を占拠した状態で日本に組み入れられるのか、内乱で再び戦国時代になるのか・・・といった所ですね。

日本の歴史の中で世界に打って出る人がいるとすれば織田信長と思いますが、結局その辺りが限界となり、その後の歴史で河北、朝鮮半島も奪い取られ、今の日本の領土に行きつくでしょうね。

まあ、鎖国政策等は無いと思われますので、今とは違った多国籍文化の日本になるでしょうが・・・。
posted by たか at 16:07| Comment(0) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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