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2009年10月23日

両刃の剣、織田軍団

昨日に引き続き、本日も戦国時代(日本)ネタです。

実は自分のブログを見ていて三国志、幕末に比べ、戦国ネタが少ない事に気付きましたので、もうちょっと書いていこうと思い・・・。

戦国最強と言われたのは武田騎馬軍団ですが、織田軍団もなかなかの快進撃を遂げます。

基本的な軍団割は柴田勝家軍団、丹羽長秀軍団、滝川一益軍団、羽柴秀吉軍団、明智光秀軍団となります。

この軍団割が、戦国を勝ち抜いた(結局勝ち抜きかけたとなりますが)方針だといわれます。

織田信長得意の競争の法則ですね。

自分の譜代である柴田勝家、子供の頃からつるんでいたヤンキー仲間の丹羽長秀、新参者の滝川一益、羽柴秀吉、明智光秀という3つの勢力を競い合わせる事で結果を出してきたのが織田軍団ですね。

また、その出世方法も効果的な形をとります。

織田軍団の中で一番はじめに城を与えられた(城代ではなく城主として)のは明智光秀、二番目は羽柴秀吉となります。

織田家中の中で自他ともに認める筆頭家老柴田勝家ではないのです。

こうなると、勝家のプライドが許さなくなりますよね。

また、幼い頃からつるんでいた丹羽長秀にしても黙ってられない。

滝川一益も戦において先陣、殿(しんがり)、調略となんでもできると言われた名将。
黙っていられませんよね。

そこで彼らの発奮を誘い、結果に結びつける。

また、他の人たちが評価されると明智や羽柴も負けじと頑張りますよね。

このエンドレスループにより、更なる発奮を求めるというやり方で織田家は勢力を伸ばしてきました。

こういうやり方は確かに速効性があり、効果も大きいのですが、デメリットもかなりあります。

まず、軍団長同士の仲が険悪になり、歩み寄ることができないということです。

また、結局こういう扱いは人が部品という扱いになり、大きな不満がたまる事になります。
(いわば、ドッグレースですからね。)

さらに、それらを束ねる人物に相当な器を要求されます。

ご存じの通り、織田信長が本能寺で倒れると、織田軍団は崩壊します。

結果、あっという間に織田軍団は崩壊して豊臣政権へと移行します。

こういう、グループに分けて競わせるという形は進捗も早く結果を出すのも早いのですが、そこで築き上げた物の崩壊も早いものです。

私はよく、お偉いさん達が「強い組織づくりを!」なんて言っているのを聞きますし、それが必要だとも思いますが、組織にかかわらず、何かが出来上がる過程にかかった時間と崩壊の時間には関係があると考えております。

例えば、1日で出来上がった物を壊すのは1日で出来ますが、10年かけて出来上がったものは1日では壊れないと考えております。

それは方針や行動、習慣についても同じことが言えると考えてます。

組織が変わり、「変化が見えない」なんてことをすぐにいう人達がいますが、組織が変わってすぐ変化があったとすれば、それは本当に変わった訳では無く、変化を見せてるだけです。

見せてるだけの変化は結局見世物でしかないのです。

「ローマは一日にして成らず」

組織を作るにはある程度時間をかける(といってもだらだらとするのではなく)方が良いと考えており、その組織を評価する側もある程度の期間をもって評価しなければいけないと考えてます。


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posted by たか at 15:53| Comment(0) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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