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2009年11月30日

JINに見る江戸時代の身分格差

今回のJINは歌舞伎役者が出てきました。

江戸時代というのはご存じのとおり士農工商という身分格差がある社会でした。

しかしながら、実力(潤沢な資金)を持っていて陰ながら実権を握っていたのは一番身分の低い商人だったそうですね。

金を持っている人は強いというのは、今も昔も変わらないようですね。

ただ、そんな中で歌舞伎役者ってどういう位置づけなのかと考えるとぱっと思い浮かびませんでした。
(というか考えた事もありませんでした。)

そこで、JINのHP(http://www.tbs.co.jp/jin2009/)の中のお江戸マメ知識を見た所、以下のような記載がありました。

時の幕府は、庶民のスター的存在であった歌舞伎役者たちを「畑を耕したりすることなく、見せ物をして金を稼ぐけしからんやつら」と認識して危険視し、彼らに憧れてそのマネをする人々が増えないようにと警戒を強めていました。その対応策として、幕府は彼らを蔑視。歌舞伎役者たちに対して「出かけるときには頭に笠をかぶれ」「絹を着用するな(着物の布地の制限)」「吉原等の歓楽街へ立ち入ってはならない」「芝居小屋の近くの定められた場所にしか住んではいけない(住む場所の指定)」などといった厳しい規制を設けて、庶民たちが憧れを抱かないようにしたってわけ。

成程。

だから澤村田之助は変装して吉原に来ていたのですね。

また、ドラマの中で橘恭太郎が歌舞伎役者、澤村田之助を侮蔑するような言動がありましたよね。

そういう位置づけだったからですね。
(納得)

JIN第8話は新しいペニシリンを精製する為に400両の金がいるという事で、金策に四苦八苦する話でした。

以前、このブログで龍馬暗殺について記載した際にも触れましたが、1両を今の価格にすると、(物の価値が今の価値とかなりばらつきがあるので一概には言えないが)米を基準に考えると約四万円、賃金で考えると三十〜四十万円、そば代金で考えると十二万〜十三万円となるそうです。

平均、10万円としましょうか。

10万としたら400両は4000万となりますよね。
(1番安い米の換算でいっても1200万。)

なんとも大金ですね。

これを用立てる訳ですから、大変ですよね。

歌舞伎役者、澤村田之助が楽屋(と思われる)に置いていたのはそんな大金だったのです。
(凄いねぇ。持ち歩いてるんだから…。)

この400両を貸すのと引き換えに澤村田之助は橘恭太郎に江戸の庶民達の前で土下座して自分にお金を貸してくださいと言わせます。
(結局、澤村田之助は貸すのではなく、与えてますが…。)

現代人である我々からすれば「多くの人の前で土下座して4000万円もらえるならするよ」なんて考える人も多いと思いますが…。

あの時代では武士の土下座の値段が4000万という事ですよね。

凄いですね。

橘恭太郎はかなり落ち込んでいましたし、こんなことしかできない自分を恥じてましたが…。

あの後の事はドラマでも語られないのでしょうが、恐らく、江戸の瓦版などで取り上げられるのでしょう。

しかしながら、以前「ペニシリンを作った南方仁」とか「南方大明神!」なんて言っていた人達ですから、瓦版も「ペニシリンを守るために土下座をした武士!」なんて、案外好意的にとらえてくれるのでは?なんて思ってます。

話を戻しますが…。

緒方洪庵が死んだ時も洪庵は「未来の世の中はまっ平らな世の中ですか?」なんて言ってます。

現代人からは身分格差を想像するのは難しいですが、それほど大変で、人々に重くのしかかる物だったようですね。

ちなみに「澤村田之助」というのは歴史上本当に存在する人物で、1年に千両稼ぐと言われた伝説の役者だそうです。
(って人件費で考えたら30億〜40億!!すげぇ〜)

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タグ:ドラマ 幕末 Jin
posted by たか at 03:29| Comment(0) | 幕末 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月28日

日本人の不思議

日本人というのは不思議な生き物だと思います。

この島国に住む民族は昔から優秀で特に技術力という部分で素晴らしく優秀な民族でした。

例えば戦国時代に伝わった3丁の鉄砲がその後何万という単位で作られるようになったり、ここ100年ぐらいならそのものづくりの能力をふんだんに生かして世界の先進国の仲間入りをしました。

こんな島に住んでいる民族が…。

ほんと驚きですよね。

手先が器用なんでしょうね。
(昔からのいわゆる匠の技術というのは、本当に驚かされます。)

応用力とかいった部分もかなり優れています。

しかしながら、この民族は発想力に乏しいのですよね。

発想はなくても、新しい物を見ると、ちゃんと作って見せたり、性能を上げるといった事は得意なんですよ。

ほんと、天はニ物を与えないというのは本当ですね。

恐らく、優秀と言っていい民族でしょう。

この民族のおかしな特徴として、「国の頂点を目指さない」という独特な文化があります。

今では象徴になってしまい、権力を失ってしまいましたが、日本には古来から帝がいます。

いわゆる、天皇様ですね。

他の国では(といっても私が詳しいのは中国だけですが…。)戦乱の世になると、結局頂点を目指しています。

秦の始皇帝依頼中国には「皇帝」が存在してました。

戦乱の世になり、その世が治まると新たな皇帝が立つというのが普通の流れでした。

しかしながら、日本という国は殆ど、帝に取って代わろうという人が現れませんでした。

まあ、聖徳太子から藤原氏の時代から摂政、関白のいわゆる摂関政治が定着しているからかも知れませんが…。

戦乱を鎮めて武家社会を築いた源頼朝にしても、幕府を開いただけで帝にとって代わろうとはしませんでした。

それは、その後の足利尊氏や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と…。

誰も帝を廃して自分が帝になろうとしてませんよね。

日本人として自国の歴史を学んできて皆あまり不思議に思わず受け入れている事実ですが、これはよその国から見ればおかしい現象と言えます。

日本で数少ない革命となる明治維新でも結局天皇の元に国を運営しようという形にしただけで、結局天皇に取って変わったりしてませんよね。
(まあ、あの時代は大義名分として尊王を謳ったので当然でしょうか。)

これが意味する事というのは日本人というのは名前とか地位よりも実権を重視したという事ですよね。

勿論、帝を廃して取って代わり実権を握る事は可能ですが、古より綿々と受け継がれた血統を廃する事を発想しなかったのか、その労力を惜しんだのか…。

恐らく、真面目な民族なんでしょうね。

天皇様に逆らうのは恐れ多いという気持ちを持ち続けていたのですね。

それも日本人の心として伝わってきた大切な文化ですね。
タグ:日本人
posted by たか at 04:09| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月26日

卑弥呼は殺されていた? その2

昨日に引き続き、11月21日放送の「世界・不思議発見!」で語られていた「卑弥呼の死」について記載します。

気候変動、2年連続の日食、アマテラスの神話を結びつけたら以下の推論が出てきました。

太陽の巫女である卑弥呼の館は朝日を背景に建っていました。

240年から再び寒冷期がはじまり天候が悪化。

247年には卑弥呼の象徴だった太陽が欠けながら沈んだ。

これにより、卑弥呼の権威は完全に失墜しました。

古代社会では衰弱して力が衰えた王は魂を若い後継者に移す為に殺された例が多いそうです。

それと同じように卑弥呼も殺されたのではないだろうか?

そして翌年(248年)、欠けた太陽が満ちながら昇った時、そこに人々は太陽の巫女卑弥呼の復活を見た。

その為、卑弥呼の力を受け継いだと考えられる親族の台与(とよ)が女王になりました。

つまり天岩戸神話におきかえると天岩戸に隠れたのが卑弥呼で、次に現れたのが台与(とよ)であるという訳です。

以上が卑弥呼は殺されたのでは?という説の概略です。

まあ、筋は合っているような気がしますが…。

卑弥呼の死はたまたまタイミングが太陽が欠けながら沈んでいく年とかぶっただけかもしれません。

ただ、古代の日本人がその状況を見て、「卑弥呼の時代は終わった。新しい王が立たなければ…」なんて思ったかも知れませんね。

それが過激になると卑弥呼を殺すという事につながるかも知れませんが…どうでしょう。
(この時代にあまり詳しくないので、コメントは控えます。)



卑弥呼の死後、人々は卑弥呼に畏敬の念をこめて箸墓古墳に葬りました。
(勿論、奈良に邪馬台国があったとしてですが…。)

箸墓古墳は発掘により二重の濠で囲まれていた事が発見されているそうです。

二重の濠が一般化するのは4世紀と言われ、これにより、箸墓古墳は最初の前方後円墳といわれるにふさわしい特別な古墳だった事が分かるそうです。

前方後円墳は新しい信仰の始まりだったとの事。

前方後円墳は丸い部分の頂上に王を埋葬し、四角い部分でお祭りを行っていたそうです。

前方後円墳のお祭りというのはそこに葬られる者に対する祭りとなります。

古来より、一般的に祭りは神様を祭ります。

前方後円墳の祭りは、そこに埋葬されている王そのものがある意味神になり、神格化されていったと考える事が出来、今までの土地を祀った信仰から天を祀った信仰に変化し、次に王を祀ったという事から、新しい信仰ともいえる訳です。

無くなった王を神とする新しい信仰が前方後円墳から始まったとするならば卑弥呼が埋葬されたと考えられる箸墓古墳から始まったとしてもおかしくないですよね。
(逆に、日本の最初の王から始まる方が自然ですね。)

ちなみに、神格化された王はどのように埋葬されたのか。

茶臼山古墳(奈良)にその形を見る事が出来るそうです。

この古墳は前方後円墳で、当然丸い部分の頂上に王を埋葬した石室があります。

その石室内部は真っ赤に染められていたそうです。

赤というのは聖なる王を守るための魔よけを意味するそうです。

その聖なる石室を俗界から切り離すために丸太の柱で結界が作られていたそうです。

なる程ですね。

「世界・不思議発見!」、為になりますね。
posted by たか at 00:20| Comment(0) | 邪馬台国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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