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2009年11月04日

勝海舟はほら吹き?

最近、TVドラマJINにはまっています。

現代の脳外科医が幕末時代の江戸にタイムスリップする話ですが、ご多分にもれず、坂本龍馬、勝海舟、緒方洪庵などが出てきます。

勝海舟ってどのドラマを見ても同じタイプの人間に描かれますね。

こちらもご多分に漏れず江戸っ子のべらんめぇ言葉を使い軽い男として登場します。
(但し、いつもいいものとして登場します。)

私はこの男、胡散臭さが抜けず、あまり好きではありません。

咸臨丸で太平洋を横断し、アメリカ・サンフランシスコに渡航しましたが、「日本人の手で成し遂げた壮挙」なんて自賛してます。

実際は船酔いで役に立たず、同船していた測量船フェニモア・クーパー号船長、ジョン・ブルック大尉やその他のアメリカ人の手によってサンフランシスコについたというのが実情。

そういう「俺がやった!」的なアピール男が嫌いなんですが…。
(会社にもよくいますよね)

とはいえ、帰りは自分達で返ってきたのでしょうから、あんまり突っ込んであげるのもかわいそうかも…。

何より、私が許せないのは江戸城無血開城です。

普通、武士なら徹底抗戦でしょう。
(小栗忠順もそう言ってました。)

討幕軍が江戸に来るまで色々と策を仕掛けれますよね。

絶好の伏兵ポイントなんて数えきれないと思います。

また、海に軍艦を並べて東海道を進む軍に大砲を打ち込む事もできますよね。

彼は江戸を火の海から救ったヒーローなんて言われてますが、恐らく幕府軍が総力を挙げて戦えば討幕軍は江戸には入れなかったと思います。

また、そうして戦をしている内に、東北諸藩からも援軍が来る(まあ全ては無理ですが…。)でしょう。

そうすると、さらに選択できる戦術が増えますよね。

勝てる見込みはかなり高かったと思われます。

それを無血開城なんて…。

推測するに、討幕軍も幕府に総力を挙げて戦を仕掛けられる事については危惧していたのではないでしょうか?
(勝てたとしてもその先東北や北海道まで行く事を考えたら、そこまでの戦力は残らなかったでしょう。)

勝は勝で徳川幕府が勝ったとしても元の支配体制に戻るだけで、自分の地位は現状維持程度。

もし負ければ(もちろん戦には紛れもあるので)幕府の中枢にいた人間ということで処刑もしくは幽閉など、日のあたる場所には居れない。

それを江戸城無血開城すればどうなるか。

西郷と組んで自作自演で幕府をたためば、彼は次の政権でもある程度の地位にいることができる。
また、西郷と渡りをつけるには坂本龍馬がいるということで、実現は不可能では無い訳ですね。

この戦争、薩摩等が挑発して始まった戦争ですが、どうもそのあたりからきな臭い感じがします。
(人殺しや強姦などをした下手人が皆、薩摩藩邸に逃げ込む)

というのは、その頃にはすでに勝と西郷の間で話がついていたのでは???なんて思ってます。

どうしても勝には忠誠とか武士としての意地とかが見て取れないんですよね。

どうしても彼は自分の保身の為に動いたとしか思えません。
(人としての選択は正しいのですが、歴史の人物として尊敬できません。)


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龍馬の謎 サザエさん家の不思議
ラベル:幕末 勝海舟
posted by たか at 02:47| Comment(4) | 幕末 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月03日

曹操孟徳という人物

最近、例の本の影響で日本の戦国時代ばかり記載していましたが、三国志ネタを記載したいと考えております。

曹操孟徳(ソウソウモウトク 字:孟徳)は三国志演義では巨大な悪玉という人物に記載されています。

治世の能臣、乱世の奸雄というキャッチフレーズは正にこの人を表していると思います。
(清平の奸賊、乱世の英雄とも)

確かにこの男、えげつない交渉や大虐殺等、悪行といわれてもおかしくないことをしています。

しかしながら、この男の才能は三国志でナンバーワンというのもまた事実。
(三国志演義では必要以上に悪く書かれています。)

また、勉強熱心でもありました。

孫子の兵法書に注釈を付けたのはこの人で、今読まれている孫子は曹操が注釈した物です。
(このあたり、全く勉強しなかった劉備とは対照的ですね。)

その甲斐あってか、彼の戦争における生涯勝率は8割を超えます。
(ただ、何故かこの人は敵よりも多い兵数の時に負けが多いです。)

戦以外にも政治家としてもすぐれた能力を発揮します。

例えば中国において、学校を初めて作ったのはこの人です。
(いい人材を集めるのは難しい。ならば、いい人材を作ればいいというのが発想のようです。)

屯田制や求賢令など、当時では画期的な制度を取り入れています。

屯田制は辺境地帯ではなく自分の支配地の内地において、荒廃した田畑を一般の人民にあてがい、耕作させる(民屯)と戦時、辺地において軍隊で耕作する(軍屯田)の両方を指します。

曹操はどちらでも実績をあげました。

求賢令はどんな悪いやつでも能力さえあれば採用するという事。
(当時は儒教精神の真っただ中な為、親孝行とか見た目が立派とかそういった基準で推薦された人を採用していた。)

見た目や建前ではなく、実利、実力を重んじた人です。
(だから当時の儒者からは嫌われたのですね。)

さらに、お酒の造り方(段掛け方式:日本の酒造業界において今尚行われている方法)を発明して献帝に上奏したりしています。

詩人としても当代随一の能力を持ってました。
(杜甫等が出てくるまでは曹操、曹丕 ソウヒ、曹植 ソウショクの親子が詩聖と言われた。)

本当にここでは書きつくせないほどの多彩な才能と能力を持った人物でした。

それよりも何よりも凄いのは、この人は人材コレクターだったという事です。
(人材マニアと言っても過言ではありません。)

多彩な能力を持った人は歴史上稀にいますが、その多くは多彩な能力であるがゆえに人を見下したり、多彩な能力であるがゆえに人に任せれなかったり…と、結局悪い場合に独裁者的になってしまうのが常です。
(世に暴君といわれる人は大概かなりの才能をもった人です。その為、人は止められないのですね。)

彼にはそれが無かった。

自分にどれだけ才能があろうとも、常に優れた人材を求め続けました。
(敵の将でもいい人材は手元に欲しがり、痛い目にもあってます。)

そこが彼の一番優れている所だと思います。

私は歴史物の本をこれまで数多く読み、多くの偉人、傑物を知りましたが、ここまで才能に恵まれた人は曹操以外に知りません。
(ある特定の能力がずば抜けている人はかなりいますが、ここまで多方面にわたり能力を持っている人はいません。)

私の知る人物の中ではダントツナンバーワンの能力を持ってます。

最後に正史三国志では彼をこう評価しています。

「非常の人。超世の桀。」
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posted by たか at 16:55| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

三木城、鳥取城の兵糧攻め

昨日、例の本のつっこみで秀吉の記事を記載しましたがその中でお話しました三木城と鳥取城の兵糧攻めについて記載したいと思います。

まずは三木城。

この攻略戦は1578年に羽柴秀吉が毛利攻めの先鋒となった事から始まります。

当初、織田家に降伏していた三木城主別所長治が離反した為、秀吉が討伐に向かいます。

これに対し、別所長治は東播磨一帯から約7500人が集まり、籠城しました。
籠城したメンツは別所軍団以外に別所氏に同調した国人衆、その家族、浄土真宗の門徒党がいたとの事。

この城を兵糧攻めにするのですが、当初は兵糧の補給路があったのですが、一つ一つ支城を落としたり、反対勢力の攻略、宇喜多氏の寝返り等の末、外部からの補給路をなくします。

また、その間、別所長治は2度出陣しますが、いずれも敗北。

結局、城内の食糧はつき、軍馬、犬猫、木の皮等もつき、餓死者が続出した為、秀吉からの降伏勧告を受け、城主一族の切腹で籠城選が終了します。
世に「三木城の干し殺し」と言われた籠城戦です。

秀吉は籠城戦で亡くなった方々を手厚く葬った為、この地域の方からはあまり恨まれていません。
(ちなみに、この合戦中に竹中半兵衛が陣中で没します。)

鳥取城の方は「渇え殺し」と言われた籠城戦で、三木城の籠城戦よりも用意周到です。

若狭から商船を因幡へ送り、米を高値で買い占めさせ、城下町を焼き、その地に住む農民たちも城へ追い込みます。

毛利勢が河川や海から兵糧を運びこむのを阻止して、城を囲みます。

この時、兵糧は20日分しかなかったそうです。

4か月も経つと城内の家畜や植物は食いつくされ、餓死者が続出し、人肉を食らう者まで出てきます。

また、逃げようとして秀吉の陣に近づいてきた人を討ち殺して、出て来れないようにします。
この討たれた人に人が群がり、人肉を食べる訳ですが、特に脳がおいしいらしく、頭を取りあいしていたようです。

結局、城主吉川経家の切腹で籠城戦が終わります。

三木城籠城戦も鳥取城籠城戦も開城後に秀吉軍が大きな釜でおかゆを炊いて飢餓に飢えている人達に振舞いましたが、その際、急激におかゆを食べすぎて死ぬ人が続出したとの事です。

以上がこの2つの城の籠城戦の概略ですが、兵法からすると、城を落とすのに一番自軍の被害が少ない戦法です。

いくら城を攻め取っても、自軍の被害が甚大であればそこを維持する事ができません。

その為、効率的ですが、同時に非常な戦法でもあります。

兵糧攻めの狙いは城主がその城の中にいる家臣やその家族、農民達が飢餓に苦しむのを堪えかねなくなってギブアップするのを待つ戦法です。

その為、鳥取城の兵糧攻めのように城内からの逃亡者を許さない訳です。

結局、城内は目も当てられない程の凄惨な光景となってしまいます。

また、城主の判断により、死者の数も左右されます。

戦争というのは本当に悲惨な所業ですね。
posted by たか at 15:24| Comment(0) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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