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2009年12月14日

JINに見る久坂玄瑞

JINの第10話が放送されました。

久坂玄瑞が出てきましたね。

久坂玄瑞は私の持っているイメージに近い形で演じられてました。
(怜悧な頭を持っていて、頑固で、目的達成の為には手段を選ばない。自分と同じ考えを持っていないと認めないという排他的な所もあるイメージを持ってます。)

この人は吉田松陰が開いた松下村塾に学び、高杉晋作、吉田稔麿と共に松下村塾の三秀といわれた人。
(当時の人達は何を持って秀でているとしたのかはわかりませんが…。)

ご多分にもれず尊王攘夷バリバリのカタブツ。

藩論が公武合体に傾くと尊王攘夷への転換を図り、見事成功したり、英国公使館焼き討ちを実行したり、外国艦船を砲撃したり、とにかく尊王攘夷一筋で生きてきた男。

文久3年(1863年)の八月十八日の政変によって長州勢が朝廷から一掃され、その失地回復の為に起こった禁門の変(蛤御門の変)で負傷し、鷹司邸内で自刃した人。(享年25歳)

ざっと彼の略歴を書きましたが結構過激でしょ。

というより、松下村塾というのは本当に過激な塾で、現代風に言えば「テロリスト養成所」といった趣があります。

三秀の一人、吉田稔麿は有名な池田屋事件で死にますが、この池田屋では「祇園祭りの日に京都に火を放ち、大混乱に陥った所を京都守護職の松平容保を斬り、帝を長州に連れ去る。」っていう計画を相談していたんです。

ね、自爆テロ並でしょ。

ちなみにこの松下村塾からは三秀の他に伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、入江九一等々、維新回天の原動力になった人々が数多く出てます。

私はこのブログでも何度か触れましたが、倒幕派の方々にあまり好意を持ってません。

以前記載した事は新しい日本を作ると言いながら「所詮、成り上がりたいとか、金が欲しい、地位が欲しいといった事が本音で高尚な理念を持ってない」と記載しました。

勿論、それらの事は別に悪い事ではないです。

人間は当然お金も欲しいし、良い暮らしがしたいと願うものです。

ただ、その為に取った手段が気に入らないだけで…。

彼らがしてきた事は開国派と呼ばれる先進的な学問を身に付けた大学者やそれに付随する人々や、幕府の重要人物、同じ藩の攘夷ではない人々等を数々暗殺し、日本を大混乱に巻き込んだ事です。

今の言葉でいうテロリストと何ら変わらないでしょ。

結局、イスラム原理主義者達(ウサマ・ビン・ラディンとか)のやっている事と何ら変わらない。

たまたま、彼らが勝ち残り、正義になっただけ。
(しかも、彼らが嫌っていた外人達の力を借りて…。)

もし、幕府側が勝っていたら歴史の教科書にはテロリストとして名前が挙がっていたでしょう。

そういった所に嫌悪感を持っているので、倒幕派の志士達が嫌いな訳です。

結果的に明治維新が起こり、今の日本につながるので良いのでは?なんて意見もあるでしょうが、幕府が勝ってても今の時代は大差なかったと思いますよ。


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ラベル:幕末 ドラマ Jin
posted by たか at 03:13| Comment(0) | 幕末 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月13日

孫策の死

孫策(ソンサク)といえば三国志の中で、一瞬ではありますがものすごい輝きを発してはかなく消えた武将というイメージがあります。

彼は、三国志前夜といってもいい黄巾の乱(コウキンノラン)で頭角を現す孫堅(ソンケン)の長男です。

この孫堅は海賊退治で名を挙げ、役所に仮の尉(警察・軍事担当)に任命され、その後は色々と功績を挙げいくつかの県の次官を歴任。
その間に自らの軍団の強化に努め、黄巾の乱の折鎮圧の為に挙兵。
数々の戦場で手柄を立て、乱の一応の鎮圧後も涼州(リョウシュウ)での反乱鎮圧、荊州(ケイシュウ)での反乱鎮圧等の功績を挙げ、長沙の太守となります。
(本当は荊州の反乱を鎮める際に長沙の太守として赴任します。)

その後反董卓(トウタク)同盟に参加し、華雄(カユウ)を討ち取ったり(三国志演義では関羽/カンウ が討ち取りますが、本当は孫堅です。)洛陽一番乗りの功績を残します。
この戦いの頃から袁術(エンジュツ)派閥に属するようになり、反董卓同盟が事実上瓦解した後袁紹(エンショウ)と袁術が対立し始めると、袁術は孫堅を使い袁紹派閥の荊州の劉表(リュウヒョウ)を攻撃させます。
しかしながら、この戦いのさなかに流れ矢?に当たり絶命します。
(敵の落とした落石の下敷きになったという話も…。)

長男である孫策は父の軍団を率い、袁術に寄る事になりますが、袁術はここで孫堅軍を自軍に吸収します。

袁術は孫策の才能を愛し「わしの息子にもこれぐらいの器量があれば」と常々言っていましたが、決して孫策を信頼することはなく、彼に軍権を与える事をしませんでした。

結局、孫策は袁術に対して父の兵の返還を求め、約1000人の兵を得る事に成功します。
(この際に玉璽を質に入れたとも。ただ、孫堅の残した兵はもっと多かったようですが、セコい袁術は1000人強の兵しか授けなかったそうです。)

約1000人の兵を率いた孫策の元に多くの兵が集い、5000人以上に膨れ上がったそうです。

その兵力で江東に地盤を築き袁術から独立を果たします。
(都合のいい事に袁術が皇帝を名乗った為、大義名分を探す事もなく独立できました。)

孫策が袁術から兵を与えられたのが194年、孫策が死ぬのが200年ですから、たった6年の間に三国志で「呉」と名乗る国の基礎を作り上げました。
(死ぬ際、弟の孫権/ソンケン に地位を譲りますが、この人は殆ど領土を広げれなかった。まあ、荊州の右半分は取ったか…。)

本当に驚異的な事です。

そのスピードはある意味曹操(ソウソウ)に匹敵するほどの領土拡大スピードです。

その力を見て人々は「小覇王」と呼びました。
(覇王は漢王朝ができる際に出現した英傑、項籍/コウセキ の事。ちなみに、「項羽と劉邦」という司馬遼太郎氏の小説が有名。)

この時、曹操はというと北にいる袁紹派閥から独立し、袁紹と雌雄を決するという非常に重要な時期でした。

曹操は孫策を討逆将軍に推挙し、皇帝から勅許を得たり、縁談を持ちかけたりと袁紹との決戦を前に孫策を味方に取り込もうとしてました。

しかしながら、彼は曹操と表面上の友好を保つのと同時に、曹操が袁紹と戦争している時期に曹操の本拠地である許昌(キョショウ)を突こうと画策してました。

そんな折、彼は以前殺した許貢(キョコウ)の残党に長江のほとりで襲撃され、この時の傷が元で死に至ります。(享年25歳)

一説には、刺客の使った矢にトリカブトの毒が塗られていて、これがもとで死んだとの事。

また、その際に射ぬかれた右ほほ(だったと思います。うろ覚えです。)の傷を鏡で見た所、傷によって醜い顔になっていた為「こんな顔では生きていけない」といったとか…。

当時の中国は儒教社会。

見た目はかなり重視された時代ですので、別に彼がナルシストという訳ではなく、当然の発想だったんですね。

それよりも、この孫策の暗殺時期。

曹操にとっては時期的にあまりにも都合がよすぎると思われます。

私的な考えですが、やはりこの刺客は曹操が雇った者ではないでしょうか。

何冊か孫策の暗殺は曹操の手引きという小説は読みました。
(確か私の読んだ中では陳瞬臣氏の「秘本三国志」と北方謙三氏の「北方三国志」がそう書いていたと思います。)

私もそれに賛成です。

画策したのは曹操のブレーンと思われます。

まずは荀ケ(ジュンイク)。

この人は官渡(カント)の戦い(曹操と袁紹の戦い)の折も裏で色々と画策していた形跡があります。

曹操は自軍の約10倍近くある袁紹との戦いにおいて劣勢になり、許昌まで引き返そうと荀ケに手紙を送ってますが、その返信で荀ケは「今が我慢のしどころ。袁紹軍にも寝返ってくる人達がそろそろ現れる頃。その時に奇策を持って当たれば袁紹軍に勝利できる。」といった内容の手紙を送ってます。

この手紙は荀ケの明晰な頭脳から割り出された予測かも知れませんが、彼が寝返り工作をしていたようにも取れます。

荀ケは全体の勢力を見渡して、常に曹操が優位に立つように献策してきた、いわば外向型の軍師。

当然、孫策を江東に閉じ込める事か、除く事を考えるでしょう。

そう考えると孫策の暗殺は荀ケの策という気もします。

また、もう一人画策していたのでは?と思える人がいます。

それは郭嘉(カクカ)。

郭嘉は曹操が袁紹と戦うかどうかという軍議の中で、孫策を懸念する声に対し「孫策は江東制圧を急ぐあまり、苛烈な粛清を行って多くの人から恨みを買っているにも関わらずそれを警戒していない。その為、近いうちに暗殺されるだろう。」と予見してます。

まあ、頭脳明晰な郭嘉としては状況分析から出た予測かも知れませんが、許昌に攻め込む前に孫策が暗殺されると言い切れる自信はどこから来たのでしょうか…。

そう考えると郭嘉が刺客を送ったとも考えられます。

多かれ少なかれ孫策の暗殺に曹操が絡んでいたのは事実だと考えてます。




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posted by たか at 01:56| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月11日

私の好きな猛将ランキング(三国志)

本日は三国志の私的猛将ランキングを記載したいと思います。

こちらははっきり言って多くの人がそう思うというランキングになるかと思われますが…。

本当は、ここ数日の流れから言えば日本の戦国時代の猛将ランキングを記載するのが良いのですが、実を言うと、日本の猛将にそんなに思い入れが無いのです。

勿論、マンガやパチンコで有名な前田利益(慶次、慶次郎とも)や本多忠勝、真田幸村、柴田勝家、前田利家、馬場信房、山県昌景、立花道雪、高橋鎮種(紹運)、立花宗茂、可児才蔵、母里太兵衛、後藤基次(又兵衛)、加藤清正、福島正則…挙げればきりがないほど日本にも猛将は存在しました。

しかしながら、どうも三国志の猛将のイメージと比べると小さいような気がして思い入れを持つ事ができませんでした。
(それ程三国志演義という書物は良くできていたんですね。)

現状では、日本の猛将ランキングは記載する予定がありません。

本題に移りますが、私の好きな猛将は以下の通り。

 1位 趙雲
 2位 馬超
 3位 張遼
 4位 夏侯惇
 5位 呂布

1位の趙雲は「なんかかっこよすぎ!」って事で、私も照れる所はあるのですが、やはりこの人はかっこいいです。

義勇兵として放浪していた際は「仁政に集う」という旗印(だったと思う)を掲げ放浪します。

そして公孫サン(表記されない漢字です。)に従い??(この人仁政をひいたか?)そこで生涯の主君、劉備に出会い、公孫サン滅亡後、劉備に従う訳ですが…。
(一説には公孫サン配下の折に兄が死に、喪に服すため帰郷し、そのまま戻ってこなかったとか…。)

劉備配下として数々の猛将との一騎打ち(公孫サン配下でも文醜と一騎打ちしてますが…。)をし、長坂では劉備の子阿斗の為に100万の曹操軍に1騎で駆け入り無事救出(いわゆる、長坂の一騎駆けですね)したり、その後も挙げればきりがないほどの活躍ぶりです。

また、それほどの武勇を誇りながら頭もなかなか切れるという正に戦場におけるサイボーグといった感じ。

三国志を読んでこの人を嫌いという人は恐らく、そのかっこよさをねたんでるだけでしょう。
(北方謙三氏もねたんでました。)

ちなみに、正史における彼は関羽や張飛と比べると地味な感じを受けますが、常に作戦を実行し、成功に導いてきた武将で、どちらかというと「いぶし銀」の印象をうけます。

2位の馬超。
この人は元々私が三国志を好きになるきっかけとなった男です。

曹操が漢中を責めるという名目で西に兵を向けて来た際に父馬騰を処刑された恨みもあり、挙兵。

2度ももう少しで曹操を斬る所まで行くが結局曹操に負け、漢中の張魯に身を寄せ、そこを抜けだして劉備軍団に属しました。

ちなみに、正史では馬超が挙兵した為に、洛陽にいた父馬騰他、馬一族が処刑された訳で、三国志演義とは時間的にあべこべ。

劉備が蜀の攻略の最終段階、成都を取り囲んでいる際に馬超が劉備陣営に参陣、成都にこもっていた劉章は馬超の参陣を聞いただけで降伏したというほどの猛将。

このバカっぷりが好きですね。

3位の張遼は丁原、トウ卓(漢字がでません)、呂布、曹操と主君を変えてます。

一番有名なのは、関羽を口説き落とした下りと、曹操と関羽の間を取り持つ人の良い所でしょうか…。

もしくは守っていた合肥の城を孫権軍10万に囲まれた際、800人の決し部隊を率いて突撃し、孫権軍10万を敗走させた辺りでしょうか…。

でも私が一番この人に好感をもっている所は「本当に武人らしい潔い人だった」と感じる所です。

呂布配下の折、曹操軍に敗れ、捕らわれの身になった時に、命乞いをする主君の呂布を見て「やかましい。死ぬ時は死ね!」といったらしい。

なかなかかっこいい人ですね。

4位の夏侯惇は激情家にして常にその豪勇を持って曹操に仕えた渋さと、戦陣にその土地の知者を読んで講義をさせたり、川が氾濫した際には農民と一緒に土嚢を積んだりと…。

高い地位についていながら謙虚さを見せる所ですかね。

でもこの人の功績っていったい…。

5位の呂布は御承知の通り三国志一の猛将。

恐らく、武勇でこの人の右に出る者はいなかったのでは…。

ただ、私の好感を持つ所は、バカすぎて、周りの知恵のある人達に振り回された男ですよね。

本当は心根の優しい正直な男なのかも…と思ってしまう所ですかね。

以上がざっと考える私の好きな猛将ですね。

今回は選びませんでしたが、典韋や許チョ(漢字がでない)、太史慈や甘寧、はたまた孫策、勿論関羽、張飛、黄忠といった豪傑も勿論好きですが、ベスト5を選ぶとすれば上記5人でしょうか…。

ほんと、多くの豪傑がいて、迷います。


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posted by たか at 02:29| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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