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2009年12月25日

中国の春秋時代と戦国時代の境

中国の王朝(時代)の名前は多くの人が昔、世界史などの試験の為に覚えたのではないでしょうか?

夏、殷(商)、周、春秋、戦国、秦、前漢、新、後漢、晋、五胡十六国…。

まあざっと並べると上記のような物です。
(ちなみに三国志というのは後漢〜晋の間に起こった時代です。)

この中で春秋時代と戦国時代というのは、周王朝の時代に含まれる時代です。

周という国は周の文王、武王、周公旦(シュウコウタン)、太公望(呂尚/姜子牙)等が活躍して殷の受王を滅ぼし、樹立した王朝です。
(ちなみに、この王朝は帝として周王室の人が立つのですが、豪族と皇族の連合国家です。)

しかしながら、周王も代を経ていくと求心力がなくなります。

そうなってくると、豪族たちを束ねる豪族が出てきます。
(その豪族の長を覇者と呼びます。)

具体的には、この頃の中国は定期的に諸侯会合を開き、中国の今後をどうしていくかを決めていたのですが、その主催者が覇者となります。
(勿論、その会合に参加しなかった豪族を連合軍で討伐したりもします。)

この記事ではずっと豪族で通していますが、彼らは国を成しています。
(例えば、晋、斉、燕、魯、秦等々…。)

そういった覇者が中国をまとめた時代を春秋と言います。

その覇者の中で2番目に現れた覇者が重耳(チョウジ 晋の文公)なのですが、この人が晋という国を大勢力にし、領土を広げたのですが、やがて代を経ると周と同じように、晋の内部で、晋公よりも力を持つ者が現れてきます。
(強大な国だけに起こりうる事ですね。)

やがて、晋という国は韓・魏・趙という三つの国に分かれてしまい、あっけなく滅んでしまいます。

この晋が韓・魏・趙に分かれた年(紀元前378年)を一般的には春秋と戦国の境目とします。

春秋時代は先に記載した通り、覇者と公、侯の時代だったのですが、戦国時代は各豪族(国)の長(公、侯)の力が弱まり、宰相等、ナンバーツー、ナンバースリー等々の力が増し、そういった各豪族(国)の宰相同士が横のつながりを持つ時代になります。

それに伴い、志ある者や、己の力に自信のある者は、いろんな国を行き来して仕官を求めるようになりました。

例えば、春秋時代で行くと、大体仕官するのは生まれた国であったり、他国に仕官する場合は勢力争いで敗れた皇子等が他国に亡命するような形でなされる事が多かったのですが、戦国時代は自ら仕官先を求めて各国を流浪する人が増えます。

その為、複数の国で宰相になった人物が出てきたりします。

また、学問等で身を立てようという人が多く現れ、この頃の考え方や思想という物の一部は現代にも残ってます。

そういう意味では、春秋時代から戦国時代への移り変わりは、人の可能性が広まった結果、発生した流れなんでしょうね。


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posted by たか at 03:00| Comment(2) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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