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2010年01月16日

中国史上最強?の軍師

今までいろんな歴史物の本を読んできましたが一番壮絶な軍師と言えば孫ピン(ピンは表示されない漢字です。)と考えています。

彼は孫子の兵法で有名な孫武(ソンブ)の末裔と言われています。
(ちなみに、孫武は春秋時代の呉の国に仕えた為「呉孫子」、孫ピンは戦国時代の斉の国に仕えた為「斉孫子」と呼ばれたそうです。)

その為、孫子の兵法の作者がずいぶん長い間孫武ではなく孫ピンでは?という説もありました。
(現在では1972年に山東省で孫ピンの記した兵法書の「竹簡孫子」が発見された為、孫子の作者では無い事が分かっています。この発見された兵法書は「孫ピン兵法」と呼ばれています。)

ピンという字(と言っても表示されない字なのでわかりずらいと思いますが、月に貧です。)は当時の刑罰の一つヒン刑(膝から下を切り落とす刑罰とも、膝の靭帯を切り歩けなくした刑罰とも…。しかしながら、この人は脚を切断されたらしいです。)の字を取っており、本当の名前は違う名であったと思われます。

この男、何が壮絶かと言うと、ちょっと長くなりますが略歴から辿ります。

若いころホウ涓(ホウケン/ホウの字が表示されない感じです。)という人と共に兵法を学び、ホウ涓は魏に仕官し、恵王の元で将軍になる事が出来ました。

しかしながら、自分が孫ピンに及ばない事を知っていた為、もし孫ピンが魏に来ると自分の地位が危なく、他国に仕官するとかなりの強敵になると考え、孫ピンを騙し魏に招待して罪に陥れ、ヒン刑(脚の切断)と鯨刑(顔に一生取れない入れ墨を入れ、罪を犯した証とする刑罰)に処し、一生どこの国にも仕える事が出来ないようにしました。

その後、孫ピンは幸運にも斉から魏に来た使者に救われ、魏を脱出する事に成功しました。

当初斉では、他人の策にはまりヒン刑、鯨刑を受けた孫ピンが優秀な軍師とは思われず、軍師として働く事が出来なかったのですが、ある時斉王(威王)と公子達とが馬を三組ずつ出し勝負する競馬が開催されました。

この競馬は馬の持ち主が他の馬の持ち主に勝負を挑み、着順が上の方が勝ちという賭けとしては一対一で成り立つ競馬です。

その競馬に、孫ピンは田忌(デンキ)という将軍について出席していましたが、「王の馬と勝負して勝ちましょう」と進言します。

馬を比べると田忌の三頭の馬の実力を上、中、下とし、威王の馬の実力を同じく上、中、下とした場合、いずれのランクの馬も王の馬の方が少しいい馬でした。

それに対し孫ピンは王の上の馬に田忌の下の馬、王の中の馬に田忌の上の馬、王の下の馬に田忌の中の馬をあてるという進言をして見事2勝1敗で勝ち越し、そのお陰で田忌は千金を手に入れます。

このエピソードから田忌は孫ピンの軍師としての力量を認め、威王に軍師として推薦します。

それにより、孫ピンは斉の国で軍師というポジションに着く事が出来ました。

ここから孫ピンの軍師としての活躍が始まります。

魏が趙を攻撃し、趙の都を包囲した際に、趙は斉に救援を求めました。

斉王は田忌を将軍とし、孫ピンを軍師として派遣したのですが、孫ピンは自分が前に出ないように、また、名前が外に出ないように田忌に話し、車に隠れて出陣しました。

普通、趙から援軍を求められているので趙を目指すのですが、この時の魏の兵力から推察すると主力の全軍を挙げて趙を攻めていると孫ピンは考え趙には向かわず魏の本国に向かうよう進言しました。

趙を囲んでいる魏軍は本国に斉の大軍が向かっているという報告を受け、趙の囲みを解き強行軍で本国を目指したのですが強行軍で疲労の極みにある所を斉軍に攻められ大敗しました。
(この戦から囲魏救趙という故事が生まれました。)

その後、斉軍は孫ピンの指導のもと秘密裏にかなり強い軍に生まれ変わります。
(ちなみに、この頃の斉軍は中国で一番弱い軍と言われてました。)

斉に大敗した魏軍が戦力を回復し、ホウ涓を将軍として韓を攻めると再び韓の救援の為田忌と孫ピンが派遣されます。

前回と同じように魏の都を攻めようとしたのですが、ホウ涓はさすがに本国の備えを怠らず、斉軍が魏攻略に手間取っている間に韓の攻略を引き上げ、斉軍を挟撃しようとしました。

この魏軍の動きを知った斉軍は撤退に取りかかったのですが、ホウ涓は打撃を与えるべく斉軍を追撃します。

その魏軍に対し孫ピンはホウ涓の「斉兵は弱い」という侮りを逆手に取り、斉軍陣営のかまどの数を前の日の半分、次の日は更に半分という風に減らしていきます。
(戦場では陣営にかまどを築いて食事をしたので、その陣営の後を見るとかまどの穴の数から大体の兵力がつかめます。孫ピンはかまどの数を減らす事により斉軍に逃亡者が出ていると魏軍に思わせるように仕向けた訳です。)

これをみたホウ涓は軍の速度をますます上げます。
(軽騎兵のみにて追撃に切り替えたともいわれてます。)

孫ピンは逃げながら馬陵(バリョウ)という土地に魏軍を誘い込み、しかも夕暮れ時に魏軍が馬陵に到着するように仕向けます。

先に馬陵についた孫ピンは魏軍に対し伏兵を設けます。
(この通路には左右に森があったので)

また、馬陵には目立つ木が一本生えていました。

その木の肌を削り「ホウ涓この木の下に死す」と書き記し、周りに伏せている兵に「夕暮れ時に魏軍はここに到着し、この木に松明をともした人物が近付いてくる。この人物めがけてありったけの矢を放て。」と指示し魏軍を待ちます。

案の定夕暮れ時に魏軍が到着し、ホウ涓は一本の木の肌の一部が異様に白くなっているのを発見しました。

松明を持って近づいた所「ホウ涓この木の下に死す」と書かれているのを見て驚いた刹那、周りから矢を浴び、全身に矢を受けた彼は死んでしまいます。

ここに晴れて孫ピンの敵討が成功する事になります。

この戦が孫ピンの名前を不朽の物とします。

千とか万単位でいる人の中から目指す1人を殺すという本当に恐ろしく、凄惨な策と考えます。

ホウ涓に対する恨みが孫ピンの智謀を冴えさせたのか、この後の孫ピンの活躍は全く史書に記述がありません。

実は、私が古代中国の中で一番恐ろしい軍師と考えているのは張良(チョウリョウ)や太公望(タイコウボウ/呂尚リョショウ、姜子牙/キョウシガとも)、諸葛亮(ショカツリョウ)ではなく孫ピンです。

孫ピンについては海音寺潮五郎氏の書かれた「孫子」や、宮城谷昌輝氏が書かれた「孟嘗君」等にてその活躍を読む事ができます。


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posted by たか at 04:20| Comment(0) | 戦国時代(中国) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月15日

三国という時代は無い

中国において正史と認められる書物は24あります。

その中に陳寿(チンジュ)の書いた三国志も正史として認められています。

しかしながら、三国という時代は中国にはありません。

一般に三国志と言われる時代は後漢末〜晋王朝による天下統一までの間を指す事が一般的ですが歴史上の王朝名をたどってみますと

後漢⇒魏⇒晋

となります。

王朝としては後漢最後の献帝(ケンテイ)から曹丕(ソウヒ)が220年に禅譲(前の皇帝から皇帝の位を譲られる事を言いますがこの場合は曹丕が献帝を脅迫して位を奪い取りました。)を受けて魏王朝を樹立します。

その魏王朝も265年に5代目曹奐(ソウカン 元帝)から司馬炎(シバエン)が禅譲(これまた脅迫して位を奪った)を受けて晋王朝を樹立します。

まあ、歴史の流れで行くとこういう形ですが、280年に呉を滅ぼし、天下を統一します。
(ちなみに蜀は263年に魏に滅ぼされます。)

三国という時代は日本に例えると室町時代に含まれる戦国時代のようなニュアンスと言った感じでしょうか。

三国志の本や小説を読むと大体184年の黄巾の乱から書き始めて234年の諸葛亮の死を持って終わっています。

厳密な話をすると…。
三国という時代は220年に魏が漢王朝を滅ぼした(形は禅譲)事に対し自称前漢の中山靖王劉勝の末裔である劉備が「漢王朝はまだ生きている」という意味を込め皇帝となり蜀漢を建国します。
それに対抗して孫権は魏に下り、221年呉王となり、その後229年に皇帝となり、中国に3人の皇帝が立ちます。

この、3人の皇帝が立った時代を三国時代と言います。

三国志の謎とか言ったタイプの本に良く見られますが、「実は四国志だった!」という記事を何度か目にした事があります。

これは、この時期に遼東郡(中国の右上の方)にて公孫淵(コウソンエン)という太守が238年に燕王を自称した事を指して実は四国だったという訳ですが、この説はナンセンスとしか言いようがないですね。

燕王はあくまで燕王で皇帝ではないのです。

いわば、烏丸(ウガン)、匈奴(キョウド/フンヌ)などの異民族と変わらない位置づけとするのが普通と思われます。

話を元に戻しますが、三国時代は中国に皇帝が3人現れた時代ですので、厳密に言うと孫権が呉皇帝に即位した229年から、蜀が滅ぼされる263年のわずか34年の間を指す事になります。

しかしながら、多くの小説等は三国志を諸葛亮が死ぬ234年に筆を置いていますがそうなると本当の意味での三国時代の記述はわずか5年分となります。

色々とややこしい事を書いてきましたが多くの小説に対して、黄巾の乱から三国鼎立時代までの45年間を詳しく書いているんですから、諸葛亮の死で筆を置くのではなく、呉が滅ぶ280年まで書いてみてもいいのでは?なんて思います。

勿論、諸葛亮が死ぬと、その活躍を期待したい武将がいなくなりますし、以前このブログでも書いたように組織戦ばかりの世界になってますので血沸き肉躍るというような出来事はあまりないので話として面白くするのは難しいかと思われますが…。

諸葛亮の死後も一般的に名将と言われる人達は活躍します。

例えば姜維(キョウイ)、鐘会(ショウカイ)、ケ艾(トウガイ)、羊コ(ヨウコ/コの漢字が表示されません)、杜預(トヨ)、陸抗(リクコウ)等々。

こういった人達を描くのも面白いのでは?と思います。

特に姜維なんて蜀降伏後も鐘会と反乱を起こして結局失敗し、妻子ともども殺されるという凄惨なくだりがあったりしますし…。

まあ、関羽(カンウ)や張飛(チョウヒ)の活躍に比べれば地味かも知れませんが…。




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ラベル:三国志
posted by たか at 18:49| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月14日

忍者ってどんな人?

この所三国志ネタが多く、今日も三国志ネタにしようかと思っていたのですが、ちょっと気分を変えて違う時代にしたいと思います。

先日、TV大阪で放送された「昔の人はすごかった!!歴史おかげですグランプリ」という番組で「原宿は忍者が創った!!」という事を初めて知り、「へぇ〜」なんて思ってました。

そもそも忍者ってどういう人達か?っていう所を今日は記載したいと思います。

多くの人がイメージする忍者ってどんな人でしょうか?

私のイメージでは小さい頃見た「仮面の忍者赤影」、「忍者ハットリくん」、「服部半蔵影の軍団」といったあたりでしょうか…。

しかしながら、年を重ねていき、色んな本を読んでいくと、忍者ってあんなスーパーマンではない事を徐々に知って行きました。

特に、1番衝撃を受けたのは手裏剣でしょうか…。

私が小さいころに見た忍者達は手裏剣を「お前何個持っとんねん!!」ってツッコミたくなるほど持っているんですが本当は1枚とか2枚らしいですね。
(大体、いっぱい持ってたら重いですもんね。)

また、その刃にはトリカブトの毒が塗ってあり、手裏剣が相手の体のどこかに触れたら毒がまわって死んでしまうという代物だったそうです。

その為、手裏剣というのは切り札として使われたようですね。

どちらかというと先頭で使うのは忍者刀であったり苦無(クナイ 手に収まる程度のサイズのある意味手裏剣)、かぎ爪(爪につけて手の振りで投げるもの)といった物であったらしいです。

また、忍者ってみんな伊賀とか甲賀の里にいて、仕事があったら出ていくというイメージがありますが、忍者にも様々な人達がいたようです。

もちろん、戦えない(弱い)忍者も多くいたそうです。

忍者というのは色々な分類があるようですね。

例えば、戦う忍者は「戦忍び(イクサシノビ)」なんて言われたようですね。

また、絵師や医師、料理人等、専門職を身につけ、普通にそれで生活している人もいたようです。

絵師や医師、料理人として生活し、大名お抱えとかになったり、城下町に住み込んだりしてその国の情報を流していたりしたようです。

また、料理人は大名おかかえの料理人になるとその大名を毒殺する事もできますよね。

「奥の細道」で有名な松尾芭蕉等はよく忍者と言われますよね。

出身が伊賀であったり、奥の細道の旅程を芭蕉が歩いた日数で行くととても常人ではまねができないスピードだったとか言われます。

忍者の役割って様々で、どちらかというと戦闘より情報収集、暗殺、撹乱といった事が主な任務だったんですよね。

例えばある家に出入りする人を見張るとすれば、その家の門が見える所で例えば林とかに穴を掘り、目から上だけ出して(勿論、頭の上等もカモフラージュして)一日中ずっとその穴にじっとしながら見張るとか…。

どちらかというとそういう能力の方が常時必要だったようです。

ちなみに、私が読んだ中では池波正太郎氏の書かれた「真田太平記」の忍者がすごく良く描けていると思います。

ちなみに、服部半蔵は伊賀出身というだけで、忍者では無かったそうです。


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posted by たか at 18:26| Comment(0) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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