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2010年01月12日

諸葛亮と曹操は似た者?

諸葛亮(ショカツリョウ)と曹操(ソウソウ)という敵対関係にいたこの両者ですが、思想としては似ている所がありますね。

この時代、思想として一般的には官僚等は儒教、庶民は道教を信じる傾向にありました。

ちなみに儒教は孔丘(コウキュウ/孔子)を教祖とし、礼を重んじた宗教。
(ただ、孔丘は人間に大事な物として「仁、義、礼、知、信」と言っており、礼は3番目に重要となるのですが…。)

道教は中国の伝説の皇帝である「黄帝」を教祖とし、老子(ロウシ)や荘子(ソウシ/ソウジ)が広めた宗教となります。
(道教を「老荘の思想」と呼ぶのはその為ですね。)

こういった世の中で、曹操と諸葛亮はそのどちらにも所属しないですね。

強いて言えばこの二人は「法家」ですね。

諸葛亮は三国志演義のイメージから仙人っぽいと思う方も多いでしょうし、道教思想では?なんて思われる方も多いのでは?と思うのですが、あくまで小説が付けたイメージであって、彼の根本は法家でしょう。

蜀を取った際に作った「蜀科」ではそれ以前の蜀の法律と比べて、かなり厳しい法律にしています。

この法律に対して法正(ホウセイ)が「昔漢の高祖が秦のややこしい法律に対し、自分の領地は法律は3つ(法三章)と宣言。すなわち、人を殺せば死刑。人を傷つけたものは処罰。人の物を盗んだものは処罰」という簡便な物にして成功した例を挙げ、蜀もそうするべきなのでは?と言って反対したのに対し諸葛亮は「秦は法がややこしく、厳しかったのでそこに疲れた民にとって法三章という分かりやすい法律が受け入れられた事で成功したのであり、蜀は今まで生ぬるい法律でしかなかった為、民に規律が無くなった。その為、厳しい法律で縛る」と言った旨を話して法正の意見を却下したそうです。

また、有名な「泣いて馬謖を斬る」という故事も、人材不足の蜀において将来有望な馬謖を斬る事は損失になるにも関わらず軍法を優先して切った辺り、やはりこの人は法家の思想と考えられます。

曹操においては一番最初の就職において洛陽の北部尉(北門付近の警察長官)に就任した際は違反者に対して厳しく取り締まり、霊帝に寵愛されていた宦官蹇碩の叔父が門の夜間通行の禁令を犯した際にも容赦は無く、彼を捕らえて即座に打殺したり、済南の相に任命された折は汚職官吏の罷免、浮祠邪教を禁止する等、法の番人的な動きをしています。

また、彼の部隊は戦争における略奪を禁止していたり、法の整理と厳しい運用を実践していた事がうかがわれます。

また、曹操も諸葛亮も合理性を重んじた人です。

発明等に興味があった事も共通してますね。

そういった所を見ると似ていると思われる事が多々あります。

ただ、それは曹操の一面であって、曹操の才は諸葛亮よりも多方面に渡っています。

例えば詞を作るという事。

曹操は当時一流の詩人です。

諸葛亮も「出師の表」という名文を残してはいますが、詩人ではありません。

また、法を用いる際に曹操程の度量の広さを見せた事もありません。

例えば、曹操が乾坤一擲の勝負をした「官渡の戦い」においては敵側である袁紹から曹操の武将に対し寝返りを促す手紙が数多く送られ、その手紙をもらった武将達も袁紹に対して返事を書いていましたが、袁紹に勝った後、その手紙が多く押収されました。

曹操はその手紙の山をみて「私でさえ勝ちを確信できなかったのだ。」と言って中身を見ずに焼き払いました。

その手紙を出した武将達はほっとした事でしょう。

他にも、曹操が法を用いる際に示した度量に関するエピソードは残っています。

このあたりを見ても、人としての度量も曹操が勝っていたと考えられます。

また、人の能力の見抜き方という面でも諸葛亮は曹操に及びません。

曹操が集めた綺羅星のような輝かしい人材を見ればわかります。

曹操の元には歴史に名を残す活躍をした人物が数え切れません。

という事は、能力のある人材を登用する事に合わせ、その人物が能力を発揮できる場を与えたという事にもつながります。

さらに曹操は優秀な人材を得る為に領地に学校を作り、教育したという面を見てもその非凡さがうかがわれます。

対する諸葛亮は、自分の後継者こそ無難に選びました(姜維/キョウイは後継者ではないですよ)が、馬謖で失敗していたり、魏延(ギエン)を使いこなせなかったりと、人材発掘、活用に関しては曹操に1歩も2歩も譲る形となります。

また、後継者を育てるという事を諸葛亮はしませんでした。
(というより、仕事が多くてできなかったというのが実情でしょうが…。)

そういった事柄を考えると、諸葛亮は確かに曹操と似ていますが、とても曹操には及ばなかったと考えられます。

今回述べた事は、決して諸葛亮の能力が劣っていたという訳ではなく(むしろ当時の中国ではずば抜けた優秀さを見せています。)、曹操という男が偉大すぎたというだけの事です。




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2010年01月11日

合戦の不思議

私の比較的詳しい歴史というのは日本で言ったら戦国時代、幕末、中国でいえば三国時代以前となります。
(一番詳しいのは三国時代ですが…。)

それらの戦の中で寡兵が大軍を破る戦がけっこう出てきます。

日本で有名な所で言うと厳島の戦いや桶狭間といった辺りでしょうか。

また、三国時代で言うと官渡の戦い、赤壁の戦い等があります。

普通に考えたら戦争は兵隊が多い方が有利ですよね。
(日本の日露戦争における二百三高地なんかは物量作戦ですしね。)

当然、サドンデスで戦えば間違いなく寡兵は負けます。

しかしながら、何故度々大軍が寡兵に負けるかという所が戦の不思議であり、兵法となる訳です。

大軍が寡兵に負けるパターンは色々とあり、またその理由もさまざまです。

例えば、桶狭間などは(正確に細かい戦況というのは伝わっていないですが)恐らく、織田信長の運と今川義元の油断ですよね。

この戦いだけを取って今川義元を愚将というのは可哀そうですが、あの時点における将の器が織田信長の方が勝っていたという事ですよね。
(運も実力の内ということで。)

同じように将の器の違いが原因となった戦いは官渡の戦い。

袁紹(エンショウ)軍の規律の緩さと袁紹自身の人を見る目の無さが招いた敗戦ですね。

勿論、決定的な敗因としては許攸(キョユウ)の寝返りですが、この寝返り、曹操(ソウソウ)だからこそ用いた事ですよね。

逆に、曹操側から袁紹へ寝返り、許攸が曹操にしたように袁紹に重大情報を流したとして、恐らく袁紹は曹操の策と思い用いないでしょう。

そこが将の器の決定的違いなんですが、曹操としては許攸の寝返りは袁紹の策と全く考えなかったかと言えばうそでしょう。

事前に情報を得ていたか、状況判断から許攸の寝返りが真実であると判断したと考えれられます。

まあ、そこにすがらなければいけない程窮してたとも言えなくもないですが…。

しかしながら、桶狭間は大将首が取られるというあり得ない戦であった為、総崩れになるのは当然ですが、官渡の戦いの場合、袁紹の首を取られた訳ではないので兵糧を焼かれても決戦をすれば勝てる可能性が大きかったですよね。

しかしながら負けた袁紹…。

要は寡兵が大軍に勝つには

1.敵の総大将首を取る。
2.部隊の部隊長の首を取る。
3.火で焼く。(もしくは奇襲する)

等々になる訳です。

結局、大軍に勝つ状況とは

1.士気を下げる。
2.命令系統を討つ。(混乱させる)
3.軍以外の力(火、水等)を使ってせん滅。

等々になる訳です。

大軍が負けるのは混乱したり、司令官が討たれる事によって軍が烏合の衆となり(規則だって動けない状態)等により、軍が解体する事ですね。

赤壁の戦いと言っても曹操軍百万(自称。実質27万〜28万位では?と言われてます。)の全ての兵を討った訳ではなく、兵を解体させたという事ですね。

兵法は如何にして兵を解体させるかを述べる書物となり、そこに合戦の妙がある訳ですね。


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posted by たか at 03:01| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月09日

諸葛亮の就職口

諸葛亮孔明(ショカツリョウコウメイ)は三国志の中で恐らく1番人気のある人物と思われます。

彼は27歳で劉備(リュウビ)から三顧の礼を受け晴れて就職する訳ですが、この人、何故劉備に仕えたのか、私の思う所を述べたいと思います。

ちなみに、今回述べる諸葛亮については三国志演義における孔明ではなく、正史三国志の孔明について考えます。
(まあ、どちらでも今回の趣旨には差し支えないですが…)

最初にこの人は何故曹操(ソウソウ)に仕えなかったのか?と言うと事について。

この人の出身地は徐州の琅邪郡陽都(ロウヤグンヨウト)。

この地は曹操が父親(曹嵩/ソウスウ)や弟(曹徳/ソウトク)含め一族を陶謙(トウケン)に殺された為、その恨みから193年に復讐戦として徐州に侵攻した所です。
(勿論この土地だけでは無く、徐州の他の土地にも侵攻していますが)

その侵攻は恨みを晴らす目的の為激しく、「後漢書」によると曹操は数十万人の男女を殺し、曹操軍の通過した所では鶏や犬の鳴く声さえ無く、死体の為泗水の流れが堰きとめられたと言われる程の惨状だったと記載されてます。

諸葛亮の生れは181年の為、この時12歳という事になります。

恐らく、曹操軍から逃げまどう民衆の中に諸葛亮もいたと想像されます。

その為、曹操には仕えなかったのでは?という事です。
(勿論、私以外にも多くの方がこの説を取られてます。)

他の理由としては仕えた後の自分のポストについての問題があったのでは?と想像されます。

いかに曹操が人材マニアとは言え、あれだけの錚々たる面々がそろっている曹操軍に諸葛亮が入ったとしてどこまで曹操の目にとまり出世できるか?という所がありますよね。

間違いなく魏の丞相にはなれないでしょうね。
(そこそこの出世はすると思いますが…。)

彼は自分を管仲(カンチュウ)、楽毅(ガッキ)に例えていた人間。
国の命運を一身に背負う役職に就きたかった訳です。

となると、魏においては相当難しいですよね。

こういった事も諸葛亮が曹操の元へ行かなかった理由の一つではないかと考えられます。

次に、この人にとってコネがあり、仕えるにおいて一番ハードルが低かった君主は劉表(リュウヒョウ)ですね。

勿論、荊州(ケイシュウ)の本拠地襄陽(ジョウヨウ)にいたということもありますが、劉表の当時の正室は蔡瑁(サイボウ)の次姉でその長姉は黄承彦(コウショウゲン)に嫁いでいます。

黄承彦は孔明の妻の父という事で、蔡瑁は孔明にとって義理の叔父となります。

当時の劉表政権において蔡瑁は一番の実力者でした。

そのつてを使えば簡単に仕官できたはずです。

しかも、諸葛亮のこだわるポストという面においては蔡瑁を抜く事はできないかもしれませんが、彼の才能をもってすればその次、いわばナンバースリーに上り詰める事はかなり簡単だったのでは?と思われます。

しかしながら、仕えなかった所を見ると彼は劉表を見限っていたという事なんでしょうね。

恐らく、その明晰な頭脳で劉表は荊州を維持できないと踏んでいたんでしょう。

次に孫権。

兄である諸葛瑾がそこそこのポストに就いていた(寵臣といっても過言ではない)ので、十分仕える事は可能だったと考えられます。
しかも、彼は子がなかなかできなかったので後に諸葛瑾の次男を養子に迎えている事をみると、この兄弟の仲は悪くなかったと考えられます。
(乱世においては必ずしも兄弟の仲が良いとは限りません。)

そんな中で仕えなかった理由としては、乱世という事でしょうね。

日本でも関ヶ原における真田がそうしたように、できるだけ他の勢力に分かれて家の存続を図ったという事なんでしょうね。

上記の面々に比べ劉備という男は、劉表の客分であり勢力も小さく、その為人材も不足してますよね。

この状況は孔明が描いている自分の将来像に一番近道となる状況ですよね。

恐らく諸葛亮は劉備からのスカウトを待っていたと考えられます。
(ちなみに、民間伝承では劉備が三顧の礼をつくしたのではなく、孔明が三度劉備を訪問し、自分を売り込んだという話も残ってます。真偽の程は定かではないですが…。)

結局、彼は劉備に仕えるしか無かった訳ですね。

こんな事を書くと「いやいや。彼は一生どこかの勢力に仕えるのではなく、晴耕雨読の隠士になりたかった。」なんて言われる方が多いと思われますが、絶対にそれはないと思います。

彼は自分を管仲、楽毅に例えていた人物です。

ちなみに、管仲、楽毅は日本では知名度が低い(他の後漢時代以前の武将に比べて)ですが、後漢時代以前の中国における歴史上の人物の中で、最高ランクの功績を残した人達です。

そこになぞらえている彼が一生田畑を耕して生きていく自分の未来を想像していたはずがありません。
(大体、一生田畑を耕す事を考えていたのであれば天下三分の計なんて構想してないですよね。しかも、劉備に語った天下三分の計は劉備の目線で考えた戦略ですし…。)

やはり彼は劉備に仕えるしかなかったんだと思われます。


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posted by たか at 03:15| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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