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2010年01月09日

諸葛亮の就職口

諸葛亮孔明(ショカツリョウコウメイ)は三国志の中で恐らく1番人気のある人物と思われます。

彼は27歳で劉備(リュウビ)から三顧の礼を受け晴れて就職する訳ですが、この人、何故劉備に仕えたのか、私の思う所を述べたいと思います。

ちなみに、今回述べる諸葛亮については三国志演義における孔明ではなく、正史三国志の孔明について考えます。
(まあ、どちらでも今回の趣旨には差し支えないですが…)

最初にこの人は何故曹操(ソウソウ)に仕えなかったのか?と言うと事について。

この人の出身地は徐州の琅邪郡陽都(ロウヤグンヨウト)。

この地は曹操が父親(曹嵩/ソウスウ)や弟(曹徳/ソウトク)含め一族を陶謙(トウケン)に殺された為、その恨みから193年に復讐戦として徐州に侵攻した所です。
(勿論この土地だけでは無く、徐州の他の土地にも侵攻していますが)

その侵攻は恨みを晴らす目的の為激しく、「後漢書」によると曹操は数十万人の男女を殺し、曹操軍の通過した所では鶏や犬の鳴く声さえ無く、死体の為泗水の流れが堰きとめられたと言われる程の惨状だったと記載されてます。

諸葛亮の生れは181年の為、この時12歳という事になります。

恐らく、曹操軍から逃げまどう民衆の中に諸葛亮もいたと想像されます。

その為、曹操には仕えなかったのでは?という事です。
(勿論、私以外にも多くの方がこの説を取られてます。)

他の理由としては仕えた後の自分のポストについての問題があったのでは?と想像されます。

いかに曹操が人材マニアとは言え、あれだけの錚々たる面々がそろっている曹操軍に諸葛亮が入ったとしてどこまで曹操の目にとまり出世できるか?という所がありますよね。

間違いなく魏の丞相にはなれないでしょうね。
(そこそこの出世はすると思いますが…。)

彼は自分を管仲(カンチュウ)、楽毅(ガッキ)に例えていた人間。
国の命運を一身に背負う役職に就きたかった訳です。

となると、魏においては相当難しいですよね。

こういった事も諸葛亮が曹操の元へ行かなかった理由の一つではないかと考えられます。

次に、この人にとってコネがあり、仕えるにおいて一番ハードルが低かった君主は劉表(リュウヒョウ)ですね。

勿論、荊州(ケイシュウ)の本拠地襄陽(ジョウヨウ)にいたということもありますが、劉表の当時の正室は蔡瑁(サイボウ)の次姉でその長姉は黄承彦(コウショウゲン)に嫁いでいます。

黄承彦は孔明の妻の父という事で、蔡瑁は孔明にとって義理の叔父となります。

当時の劉表政権において蔡瑁は一番の実力者でした。

そのつてを使えば簡単に仕官できたはずです。

しかも、諸葛亮のこだわるポストという面においては蔡瑁を抜く事はできないかもしれませんが、彼の才能をもってすればその次、いわばナンバースリーに上り詰める事はかなり簡単だったのでは?と思われます。

しかしながら、仕えなかった所を見ると彼は劉表を見限っていたという事なんでしょうね。

恐らく、その明晰な頭脳で劉表は荊州を維持できないと踏んでいたんでしょう。

次に孫権。

兄である諸葛瑾がそこそこのポストに就いていた(寵臣といっても過言ではない)ので、十分仕える事は可能だったと考えられます。
しかも、彼は子がなかなかできなかったので後に諸葛瑾の次男を養子に迎えている事をみると、この兄弟の仲は悪くなかったと考えられます。
(乱世においては必ずしも兄弟の仲が良いとは限りません。)

そんな中で仕えなかった理由としては、乱世という事でしょうね。

日本でも関ヶ原における真田がそうしたように、できるだけ他の勢力に分かれて家の存続を図ったという事なんでしょうね。

上記の面々に比べ劉備という男は、劉表の客分であり勢力も小さく、その為人材も不足してますよね。

この状況は孔明が描いている自分の将来像に一番近道となる状況ですよね。

恐らく諸葛亮は劉備からのスカウトを待っていたと考えられます。
(ちなみに、民間伝承では劉備が三顧の礼をつくしたのではなく、孔明が三度劉備を訪問し、自分を売り込んだという話も残ってます。真偽の程は定かではないですが…。)

結局、彼は劉備に仕えるしか無かった訳ですね。

こんな事を書くと「いやいや。彼は一生どこかの勢力に仕えるのではなく、晴耕雨読の隠士になりたかった。」なんて言われる方が多いと思われますが、絶対にそれはないと思います。

彼は自分を管仲、楽毅に例えていた人物です。

ちなみに、管仲、楽毅は日本では知名度が低い(他の後漢時代以前の武将に比べて)ですが、後漢時代以前の中国における歴史上の人物の中で、最高ランクの功績を残した人達です。

そこになぞらえている彼が一生田畑を耕して生きていく自分の未来を想像していたはずがありません。
(大体、一生田畑を耕す事を考えていたのであれば天下三分の計なんて構想してないですよね。しかも、劉備に語った天下三分の計は劉備の目線で考えた戦略ですし…。)

やはり彼は劉備に仕えるしかなかったんだと思われます。


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posted by たか at 03:15| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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