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2010年01月11日

合戦の不思議

私の比較的詳しい歴史というのは日本で言ったら戦国時代、幕末、中国でいえば三国時代以前となります。
(一番詳しいのは三国時代ですが…。)

それらの戦の中で寡兵が大軍を破る戦がけっこう出てきます。

日本で有名な所で言うと厳島の戦いや桶狭間といった辺りでしょうか。

また、三国時代で言うと官渡の戦い、赤壁の戦い等があります。

普通に考えたら戦争は兵隊が多い方が有利ですよね。
(日本の日露戦争における二百三高地なんかは物量作戦ですしね。)

当然、サドンデスで戦えば間違いなく寡兵は負けます。

しかしながら、何故度々大軍が寡兵に負けるかという所が戦の不思議であり、兵法となる訳です。

大軍が寡兵に負けるパターンは色々とあり、またその理由もさまざまです。

例えば、桶狭間などは(正確に細かい戦況というのは伝わっていないですが)恐らく、織田信長の運と今川義元の油断ですよね。

この戦いだけを取って今川義元を愚将というのは可哀そうですが、あの時点における将の器が織田信長の方が勝っていたという事ですよね。
(運も実力の内ということで。)

同じように将の器の違いが原因となった戦いは官渡の戦い。

袁紹(エンショウ)軍の規律の緩さと袁紹自身の人を見る目の無さが招いた敗戦ですね。

勿論、決定的な敗因としては許攸(キョユウ)の寝返りですが、この寝返り、曹操(ソウソウ)だからこそ用いた事ですよね。

逆に、曹操側から袁紹へ寝返り、許攸が曹操にしたように袁紹に重大情報を流したとして、恐らく袁紹は曹操の策と思い用いないでしょう。

そこが将の器の決定的違いなんですが、曹操としては許攸の寝返りは袁紹の策と全く考えなかったかと言えばうそでしょう。

事前に情報を得ていたか、状況判断から許攸の寝返りが真実であると判断したと考えれられます。

まあ、そこにすがらなければいけない程窮してたとも言えなくもないですが…。

しかしながら、桶狭間は大将首が取られるというあり得ない戦であった為、総崩れになるのは当然ですが、官渡の戦いの場合、袁紹の首を取られた訳ではないので兵糧を焼かれても決戦をすれば勝てる可能性が大きかったですよね。

しかしながら負けた袁紹…。

要は寡兵が大軍に勝つには

1.敵の総大将首を取る。
2.部隊の部隊長の首を取る。
3.火で焼く。(もしくは奇襲する)

等々になる訳です。

結局、大軍に勝つ状況とは

1.士気を下げる。
2.命令系統を討つ。(混乱させる)
3.軍以外の力(火、水等)を使ってせん滅。

等々になる訳です。

大軍が負けるのは混乱したり、司令官が討たれる事によって軍が烏合の衆となり(規則だって動けない状態)等により、軍が解体する事ですね。

赤壁の戦いと言っても曹操軍百万(自称。実質27万〜28万位では?と言われてます。)の全ての兵を討った訳ではなく、兵を解体させたという事ですね。

兵法は如何にして兵を解体させるかを述べる書物となり、そこに合戦の妙がある訳ですね。


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ラベル:兵法
posted by たか at 03:01| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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