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2010年03月12日

孫策は劉備の恩人?

三国志を読んでいて一番惜しい男の死は孫策(ソンサク)ではないかと私は思います。

父親の孫堅(ソンケン)の死も惜しいですが、彼がもし生き残ったとしても歴史はどうにでも流れたと思えますが、孫策の場合はかなり違った趣になります。

孫策の死は200年となります。

このタイミングは曹操(ソウソウ)と袁紹(エンショウ)がいわゆる三国志版関ヶ原とも言える官渡の戦いを行っている最中に曹操の背後を突こうとした孫策が死んだ訳ですね。

歴史にもしもはタブーと言いますが、あえて、「もし孫策が死ななければ」という所を考えると…。

100%曹操は袁紹に負けてますね。

ただでさえかなり苦しい状況だった曹操ですから背後を孫策に突かれたら間違いなく負けます。

すると、河北に袁紹が居座った状態で本拠の許昌(キョショウ)を孫策に奪われるという状況になります。

その時点で曹操の切り札である漢王室皇帝は孫策の手に渡ります。

最悪、袁紹と孫策に挟撃されて曹操は滅亡します。

すると、袁紹陣営にいた劉備(リュウビ)は独立の機会が失われる訳です。

彼の事ですから、上手い事言ってどこかの太守にしてもらうでしょうが、そこで反乱をおこして成功するには、敵が大きすぎる勢力になっている訳です。

勿論、諸葛亮(ショカツリョウ)と出会う事もありません。

すると、参謀不在の劉備は袁紹勢力で生きていくか、独立して討伐されるかという運命をたどったと予想されます。

そういう意味では孫策の死は間接的に劉備の独立をアシストしたと言っても過言ではないと思うのですが…。




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posted by たか at 00:00| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月11日

魯粛は伊達じゃない!

一般的に読まれている三国志として三国志演義がありますが、多くの人はこの本を読んで三国志と理解しています。

三国志演義を読まれた方は魯粛(ロシュク)という武将を恐らく人が良く、劉備(リュウビ)勢力に振り回された無能な男と考えていると思われます。

しかしながら、この男、かなりの男なんですよね、実は…。

私がこれまで読んだ本では、この人は諸葛亮(ショカツリョウ)が劉備に天下三分の計を解きますが、それ以前に似たような思想をもっていたんですね。

彼の場合は天下二分の計なんですが…。

要は長江流域を孫権(ソンケン)が領土とし、北の曹操(ソウソウ)と雌雄を決するというもの。

それが、劉備が転がり込んできた事によって、荊州を劉備に貸し与えて、ある意味天下三分の形を作る事を考えた人なんですね。
(ただ、天下二分の際は蜀も含んでますが、この三分の場合は蜀を含みませんが…。)

赤壁の戦いにおいては、曹操から挑戦状をたたきつけられた段階では孫権陣営では和平派と開戦派に分かれていて、和平派の方が有利だったようです。

その中で、魯粛は断固開戦を唱えます。

最終は周瑜(シュウユ/彼もバリバリの開戦派)も会議の場に駆けつけて議論が沸騰するのですが、その席で、孫権が衣装を変えると言って席を立ちます。

その際に魯粛は孫権についていき、行ったセリフがいかしてます。

自分の主君に対し「降伏してもいいんですよ。私や他の重臣達はそれぞれそれなりの高位に就く事ができます。でもあなたはどうですか?せいぜい身の回りの世話をしてくれる人をつけてもらい、寂しい生活を強いられますよ。」なんて事を言ったらしい。

これは降伏した場合、孫権に再起の力を与えないように飼い殺しにするという事ではなくて、家格の問題なんですね。

孫権の重臣達と孫権を比べると、孫家という家格は数段落ちます。

当時の中国はバリバリの儒教社会。

まだまだ家格が物を言う時代だったんですね。

この魯粛の脅し?も孫権に開戦を決断させた一因だったんでしょうね。

主君にここまで言える魯粛ってすごいと思いませんか?

あの三国志演義で孫権と劉備の間で板挟みになって苦しむ弱気な魯粛とはまた一味も二味も違いますよね。

三国志演義の作者は魯粛に恨みがあった訳ではないでしょうが、彼のせいで魯粛は気弱で人のいい無能な人になってしまったんですね。

可哀そうです。

忘れている人も多いかと思いますが、赤壁の戦いにおける孫権軍の参謀長が魯粛です。

どうです?ちょっとは見直しましたか?
(ってそんな事知ってるよ!なんてツッコミも聞こえてきそうですが…。)





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posted by たか at 03:01| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月10日

万里の長城の悲しさ

今現在、宇宙から唯一見える建造物として世界遺産にも登録されている万里の長城ですが、一般的には秦の始皇帝が造ったことになってます。

が、現存する長城はどうも明の時代に造られたそうです。

始皇帝の頃は今の長城よりも北に位置し、土製だったそうです。
(今のように高くもなかったそうです。)

そもそも、この長城は始皇帝も(現存とは違う場所だそうですが)端から端まで造った訳ではなく、戦国時代に北の異民族から自領を守る為に各国が造っていた長城があり、始皇帝は単にそれをつなぎ合わせただけという物です。

何故、今よりも城壁が低かったかというと、元々、北の異民族の侵攻を防ぐために造られたので、異民族は馬に良く乗り、攻めて来た事から、馬が越えられない土塀を造るというのが元の発想です。

その為、それほど高い城壁で無くてよかったんですが…。

この長城、何が悲しいかというと…。

始皇帝は中国を統一した後、この事業に取り掛かりますが、結果的に見れば結局は「自分の力が及ぶ範囲はここまで!」という線を引いただけに終わってしまってます。

いくら始皇帝とはいえ、無限に領土を広げる事は無理なのはわかってますが…。

結局異民族を平らげる事が出来なかったんですね。

そのあたりに、私はこの万里の長城という建造物の悲しさを感じてしまいます。

現存する万里の長城は始皇帝が造った物ではないですが、一度行ってみたいと考えています。


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posted by たか at 01:16| Comment(0) | 戦国時代(中国) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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