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2010年03月11日

魯粛は伊達じゃない!

一般的に読まれている三国志として三国志演義がありますが、多くの人はこの本を読んで三国志と理解しています。

三国志演義を読まれた方は魯粛(ロシュク)という武将を恐らく人が良く、劉備(リュウビ)勢力に振り回された無能な男と考えていると思われます。

しかしながら、この男、かなりの男なんですよね、実は…。

私がこれまで読んだ本では、この人は諸葛亮(ショカツリョウ)が劉備に天下三分の計を解きますが、それ以前に似たような思想をもっていたんですね。

彼の場合は天下二分の計なんですが…。

要は長江流域を孫権(ソンケン)が領土とし、北の曹操(ソウソウ)と雌雄を決するというもの。

それが、劉備が転がり込んできた事によって、荊州を劉備に貸し与えて、ある意味天下三分の形を作る事を考えた人なんですね。
(ただ、天下二分の際は蜀も含んでますが、この三分の場合は蜀を含みませんが…。)

赤壁の戦いにおいては、曹操から挑戦状をたたきつけられた段階では孫権陣営では和平派と開戦派に分かれていて、和平派の方が有利だったようです。

その中で、魯粛は断固開戦を唱えます。

最終は周瑜(シュウユ/彼もバリバリの開戦派)も会議の場に駆けつけて議論が沸騰するのですが、その席で、孫権が衣装を変えると言って席を立ちます。

その際に魯粛は孫権についていき、行ったセリフがいかしてます。

自分の主君に対し「降伏してもいいんですよ。私や他の重臣達はそれぞれそれなりの高位に就く事ができます。でもあなたはどうですか?せいぜい身の回りの世話をしてくれる人をつけてもらい、寂しい生活を強いられますよ。」なんて事を言ったらしい。

これは降伏した場合、孫権に再起の力を与えないように飼い殺しにするという事ではなくて、家格の問題なんですね。

孫権の重臣達と孫権を比べると、孫家という家格は数段落ちます。

当時の中国はバリバリの儒教社会。

まだまだ家格が物を言う時代だったんですね。

この魯粛の脅し?も孫権に開戦を決断させた一因だったんでしょうね。

主君にここまで言える魯粛ってすごいと思いませんか?

あの三国志演義で孫権と劉備の間で板挟みになって苦しむ弱気な魯粛とはまた一味も二味も違いますよね。

三国志演義の作者は魯粛に恨みがあった訳ではないでしょうが、彼のせいで魯粛は気弱で人のいい無能な人になってしまったんですね。

可哀そうです。

忘れている人も多いかと思いますが、赤壁の戦いにおける孫権軍の参謀長が魯粛です。

どうです?ちょっとは見直しましたか?
(ってそんな事知ってるよ!なんてツッコミも聞こえてきそうですが…。)





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posted by たか at 03:01| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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