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2010年05月14日

龍馬暗殺の謎

龍馬の暗殺についてはこのブログで何度か記載してきましたが、今日は誰がというのではなく、単純に「おかしいな」と思う所を列挙したいと思います。

まず、龍馬暗殺直後に真っ先に現場に着いた面々。

龍馬の隠れていた近江屋は土佐藩亭と河原町通りを隔てた真向かい(数メートル)でした。

にも関わらず、駆けつけたメンバーは薩摩藩の吉井幸輔、土佐藩の田中光顕、谷干城、毛利恭介、海援隊隊士の白峰駿馬等々だそうです。

土佐から数人来てますが、重要なのは土佐藩邸から何の救援の手も差し伸べられてない事です。

当時の龍馬の状況を普通に考えると、脱藩の罪も許されているし、土佐藩邸として動いてはいけない理由は無い訳です。
(もちろん、中岡も脱藩の罪は許されてます。)

にも関わらず動かない。

ここは?マークですよね。

また、軍鶏を買いに行っていた峰吉は帰ってきて龍馬が暗殺されているのを知ると、海援隊本部へ向かったそうです。

何故海援隊なのか?と言いたくなりますよね、目の前に土佐藩邸があるのに…。

峰吉の証言も現場遺留品の屏風の図が違っていたり、龍馬、慎太郎の葬儀は夜であるにも関わらず昼と証言していたり、龍馬の近江屋への移転を半年から一年前と言っていたりするそうです。
(本当は事件の一か月ほど前)

また、一応実行犯とされる見廻り組の今井の証言に「6畳間には3人の書生がいた」とあるのと、渡辺の証言に「これは十三、四歳くらいの給仕か、右の動作に驚き自分の前の机の下へ頭を突っ込み…子供ゆえに、そのまま見逃し候…」等と、両者そろって龍馬、慎太郎以外に人がいた事を物語っています。

が、彼らは誰だったのだろう…結局調べられる事は無かった訳ですね。

また、今井は当初自分は見張り役と言っていたのを30年後、「近畿評論」に掲載された「今井信郎氏実歴談」において実行犯に突然変わってます。

ここにも?が存在します。

近藤勇が流山で捕まった際、龍馬暗殺の嫌疑がかけられている為、かなりの尋問をうけましたが、アリバイがあるにも関わらず谷干城が龍馬暗殺の実行犯は新撰組と決めつけて、斬首、獄門という惨刑に処してます。

何故、決めつけているんでしょうか…。

谷干城は龍馬が暗殺された現場にいち早く駆けつけた一人ですね。

どうも、どうしても新撰組のせいにしたいような印象も受けます。

しかも、谷干城は晩年、見廻り組の今井が龍馬暗殺について語った内容に「今井の売名行為!!」と反論をしてます。

しかも、6年も経ってから…。
(「近畿評論」に掲載された「今井信郎氏実歴談」が発表されてから6年)

何故売名行為と反論したのか、また、何故6年も経ってからなのか…。

謎ですよね。

もっと謎なのは、龍馬暗殺の瞬間です。

まず初太刀で額(もしくは目)を横なぎに斬られて、床の間に置いていた刀を取ろうとした際に背中を斬られ、龍馬が刀を手にして鞘ごと相手の太刀を受け止め(刀を抜く暇が無かった)そのまま額に相手の太刀を受け、これが致命傷となって死んだ事になってます。
(まあ、腕なども斬られているそうですが…。)

誰が見ていたのでしょうか…。

一応、中岡の証言という事になるんでしょうが、中岡も襲われてますよね。

そんなに詳しく見る余裕があったんでしょうか?

さらに謎なのは、中岡はこの日から約二日程度生きていたそうですが、その体には三十数か所の傷があったそうです。

ここも私のふに落ちない所です。

暗殺というものはそんなに斬るものでしょうか?

しかも、そこまで斬られながら二日間生きているという事は、致命傷が無かったという事になります。

普通、暗殺目的で入ってきた集団は、やはり剣の腕に覚えのある人物であると考えられますので、そんな暗殺をするのでしょうか?

やはり急所を狙うんじゃないですか?

どうも素人くさい話ですよね。

もし、ターゲットはあくまで龍馬で中岡は殺すつもりはなかったからなんて言う人がいるんでしたら、それは全くあり得ないですよね。

暗殺なんで、目撃者は殺すでしょう、普通。

そのあたりに、かなりの胡散臭さを感じてしまいます。

龍馬を暗殺実行犯の諸説の中で、中岡説は多くの人が「とんでもない説」と言ってますが、そんなにとんでもないんでしょうか?

どうも、龍馬を仕留めた手際と中岡を仕留めた手際が違いすぎるような気がするのですが…。

どうでしょう…。

私は中岡説もありと思っている(このブログでも2009年9月24日「龍馬暗殺2」で記載しました。ファンブログ版をご覧の方はリンク集から私的歴史道seesaa版に行って頂ければご覧いただく事ができます。)理由は、実はここなんです。

普通に考えたら龍馬を襲った暗殺集団と中岡を襲った暗殺集団は同じ集団と考えるべきですね。

そう考えたら、どちらも同じ手際で暗殺されていなければならないんです。

しかしながら、手際が違うように思えてしまう…。

龍馬暗殺の瞬間の描写もそうですが、絶対にそこで見ていた人がいたんです。

もし、中岡が龍馬暗殺犯だったら…。

その瞬間の描写は話す事ができます。

また、龍馬と中岡の手際の違いも納得できます。
(中岡が犯人だった場合は、事件を知り最初に駆けつけたメンバーに中岡が殺される訳で、龍馬の暗殺犯と違う人に斬られる訳ですからね。)

この暗殺の描写について色々と記載してきましたが、「そんなん今井信郎の証言やろ!!」なんてツッコミも聞こえてきそうですが、今井の初太刀の証言は「先頭の武士がためらいもなく抜刀し、龍馬の左の胴を斬り付けた」というもの。

現在、龍馬を斬った際に部屋にかけられていた血しぶきのついた屏風が残ってますが、その血しぶきの高さから座っている人物の額を横に斬った際に飛び散ったものという検証がされているそうです。

という事は…初太刀は額を割ってますよね。

もし胴であれば屏風の血しぶきをどう説明するのかという問題があります。

胴を払って額を割るという形だと、血しぶきの高さが変わりますよね。
(胴を払われると体は普通折れるでしょう。)

という事はやっぱり初太刀は額を横なぎした訳ですよ。

今井の証言に胡散臭さが出てくるわけですよ。

このあたりも結構?なんですよね。

龍馬の暗殺っていろんな説がありますが、何故かこの人の暗殺って客観的に見た説明がないんですよね。

私も含めて、何らかの思い入れというか、最初から色をつけて考えているような説が多いです。

もっと、警察の現場検証のように、淡々と事実関係を洗い出して理屈で説く説明を聞きたいものです。


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posted by たか at 01:35| Comment(2) | 幕末 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月13日

三国一の色男、周瑜公瑾

周瑜公瑾(シュウユコウキン/公瑾は字)は呉の国建国の功臣です。

三国志演義では諸葛亮(ショカツリョウ)の引き立て役にされ、不当な評価を後世に残した可哀そうな智将です。

正史三国志においては、あまり人の見かけを記載していないのですが、この男に関しては特に「美周郎」と呼ばれたと記載があります。

かなり外見が美しい男だったんでしょうね。

主君である孫策(ソンサク)とは義兄弟ですね。

というのも、孫策の妻と周瑜の妻が姉妹ですから…。

映画「レッドクリフ」では主役でした。

三国志演義においては、本当に不当に陥れられています。

赤壁の戦いにおける彼は、無残にも諸葛亮の引き立て役にさせられてますね。

諸葛亮の才能をねたみ、諸葛亮をなんとか殺そうとしてそのすべてを諸葛亮に見切られ、逆に全て返されています。

諸葛亮を危険視したのかも知れませんが、そんな男ではないと思いますが…。

正史においては、「寛大な性格で、人の心をつかむのが旨かった」と記載されています。

呉の宿将である程普(テイフ)は、周瑜が若輩者であるにも関わらず、自分と同等の地位にいる事に反感を持ち、周瑜とは折り合いが悪く度々周瑜を侮辱していたようですが、周瑜はそんな程普にたいしてあくまで膝を屈して謙譲の姿勢で接した為、程普も感服し、周瑜を尊重するようになったというエピソードも正史に見られます。

そんな周瑜は三国志演義において傲慢で、短慮で、諸葛亮の才を妬むという形で記載されています。

これはひどすぎますよね。

程普に対する姿から見ても、周瑜という男はそんな傲慢でもなく、短慮でもなく、本当に自身を慎む男だった事が分かります。

以前、魯粛(ロシュク)について記載(2010年3月11日「魯粛は伊達じゃない!)しましたが、三国志演義というのは時に人の能力や人格を曲げてまで、諸葛亮を引き立てるように記載されてます。

曹操なんかも、かなり曲げて記載されてますね。

三国志演義の作者は作家としてはかなり優秀ですが、あまりにも人物を曲げて記載している事が多いですね。

その為、無駄に恨みを買ったり、バカにされてきた武将の何と多い事か…。

周瑜という男は程普が言ったとされる次の言葉で全てが表されていると思います。

「周瑜は上等な酒のような人物。知らぬ間に酔わされてしまう。」

なかなか奥ゆかしい男だったようですね。

また、そんな彼は音楽にも精通してました。

正史にあるエピソードですが、宴会で酒に酔っていても、演奏者(当時の宴会の場は、人が曲を演奏している中で酒を飲んでいました。)が僅かでも間違えば、周瑜は気づいたそうです。

その為当時の人々は「曲に誤りあれば周郎が振り向く」という歌を造ったそうです。

なかなかの風流人ですね。

戦においては鬼謀を発揮する智将、人との付き合いでは寛大で慎み深く、音楽に精通した風流人、そしてさらにかなりのイケメン。

何とも文句のつけようのない男ですね。

この人は36歳という若さで死にましたが、もっと長生きしていれば、歴史はかなり変わっていたと思わせる人物ですね。




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posted by たか at 00:45| Comment(2) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月11日

龍馬はどんな人?

最近、大河ドラマの影響で、私のブログに訪問して頂ける方々も、龍馬関連で検索されて訪問して頂くケースが多いです。

本当に、ありがたい話です。

リンク元をたどると、どういった検索エンジンで、どういった言葉で検索されたのか、何ページ目に表示されたのかが見れるのですが、その際に、その検索でヒットした他のHPやブログも表示されます。

そこで、色々と興味を持って見るのですが…。

本当に龍馬という男は多くの方に議論されてますね。

凄い事です。

龍馬を語っている人を分類すると大体傾向が見えます。

1.龍馬を神格化して手放しでほめる人
2.そこに反発して手放しでけなす人
3.龍馬は武士というより商人という人
4.龍馬の認める部分と認めない部分をもっている人

などでしょうか。

まず、1の龍馬を手放しでほめる人は、恐らくそのほとんどは「竜馬が行く」を読んだ人か、もしくはそれを読んでかなり影響された人が書いた小説や漫画を読んだ人でしょうか。

正直それはかなりのフィクションです。

司馬遼太郎氏自身「竜馬」というフィクションを書いたと認めてますし…。
(だから字が龍馬ではない。)

ちょっと危険な龍馬ファンですね。

2の龍馬を手放しでけなす人はそれを知っていて、手放しで龍馬をほめる人に反感を持っている人でしょうね。
(もしくは単純に人気をねたんでる人か…。)

3の龍馬は商人という人に関しては、これはある意味当たっているのですが…ただ、私が読んだ記事の中には「むしろ龍馬は松下幸之助のような商人…云々」と記載してる人がいました。

私も、龍馬の発想は商人と思いますが、これに関しては…。

確かに龍馬の発想は商人的ですが、松下幸之助と比べるとその足元にも及ばないですね。

だって、亀山社中はずっと経営難ですし、挙句の果てには倒産してますしね…。

世界のPanasonicを造った松下幸之助氏と比べるのは失礼というものでしょう。

4の龍馬の認める部分と認めない部分をもった人については…。

私もこの部類に入るのかもしれませんが(2の龍馬を手放しでほめる人に反感をもつというのも結構あります。)、要は、剣の腕はいまいちも薩長同盟、船中八策、大政奉還は認めるとか…。

正直、刀を抜かなかった龍馬の剣の腕を測る事はできないのですが…。
(ですから、このブログでは、私はこう思うって所を記載しましたが…。興味のある方は2010年3月18日に記載してますので、ご覧ください。)

私としては、このブログで結構龍馬の悪口を書いてきましたが、根本的な所としては、それほど嫌いではなく、単に「龍馬という男は点でしか物事を見る事が出来なかったのでは?」と思ってます。

その根拠としては…。

まずは亀山社中と薩長同盟。

これは武器を長州に入れて、長州の武力を増強する目的と、お金を儲けたいという事を商人的発想で結びつけた結果の事と思われますが、明らかに武力討幕の片棒を担いでますよね。

次に暗殺される頃の龍馬は武力討幕を回避する為に動いています。

薩長同盟と亀山社中の頃の龍馬の動きは、明らかに薩摩と長州の武力討幕を助けている動きですが、暗殺される頃は武力討幕を回避する方向に動いている。

年代で行くと、

1865年5月頃、亀山社中発足、1866年1月22日薩長同盟、1867年11月15日龍馬暗殺。

わずか2年半程の間に考えが180°変わっている訳です。

これをどう見るかですね。

このブログでも何度か記載しましたが、坂本龍馬は死の商人(武器を売って利益を得る商人)だった訳です。

それが戦争をしない方向に動くのにわずか2年ほど。

死の商人の頃は、やっぱりグラバーに乗せられていたのでしょうか。

どんどん武器を売って…。

でも利益が出てないので、どうも商売としてはうまく行ってないですよね。

そこが亀山社中のあやしさです。

海援隊の頃に「いろは丸事件」で大金をせしめた(いわゆる当たり屋)事がありますが、これなんかは、この時本当にお金に困っていたんでは?なんて思ってしまいますが…。
(残っている記録を読むと、どうも海援隊側の操船に問題があったようですし…。)

私の考えでは、その場その場で考え方がころころ変わる男ですね。
(正直、頭の回転は速かったのかも知れませんが、頭の良い男ではないと思います。)

このブログで以前に書いた通り、私の龍馬観は…。

昔は龍馬の事が好きだったのですが、知れば知るほど嫌いになった男です。

結局、考えに一貫性がなかったのでは?という所に行きついたのが、そもそもの嫌いになっていく発端だったんですが…。

龍馬を英雄視した小説等は、暗殺された頃の龍馬の考え方(武力討幕を阻止する動き)から逆算して書いていった物で、一貫してそれを貫いていたとして書かれるので、先見性があり、信念を貫いた男というイメージを与えますが、実際は違ったと思ってます。

ただ、彼がいなければ薩摩と長州が手を結べなかった訳で、犬猿の仲だった薩摩と長州の手を結ばせたという所は、彼の大きな功績と言えると思います。

これが無ければ、倒幕はできないですからね。
(勿論、倒幕が良かったのか悪かったのかの議論はここでは省きます。)

結局彼は英雄なんですが、多くの人が手放しでほめるのは、「彼の行動を全て良いように取りすぎやで!」って言いたくなるんです。

結局、私の中の龍馬像は…。

かなりのミーハーで、少ししか知らない事でもかなり知っているように見せ、大風呂敷を広げるのが得意な中身の薄い男。

でも、その子供っぽさが人を惹きつけてやまない仁徳につながる不思議な魅力をもった男。

ってとこですかね。




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posted by たか at 03:49| Comment(0) | 幕末 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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