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2010年05月01日

関羽の従者周倉

周倉(シュウソウ)という人物が三国志演義には登場します。

陳寿(チンジュ)の記した正史三国志にはその記述がいっさいありません。

この人、実は架空の人物とされています。

曹操(ソウソウ)の元から劉備(リュウビ)の所へ帰る関羽(カンウ)に臣従を願い出て、劉備の許しを得た事により、関羽に仕える事になるのですが…。

その最後は麦城(バクジョウ)に関羽と共に追い込まれ、突破を図った関羽と関平(カンペイ)の親子が孫権軍(ソンケングン)に捕まり、首を討たれた事を知ると、周倉はそのまま城壁から飛び降りて自殺したとなっております。
(たしか吉川英治氏の三国志では刀で自らの命を絶ったと思いますが…。)

関羽の従者となってからは片時も関羽から離れず、最後は関羽に殉じた男ですね。

架空の男だったからか、彼には「なんでやねん!!」ってツッコミたくなる逸話が伝わっています。

彼はかなり足が速かったそうです。

どれだけ速いかと言うと…。

1日千里を走る名馬赤兎馬に乗る関羽の横を、自らの脚で走ってついていったそうです。
(勿論戦場でも)

それを憐れんだ関羽が周倉に馬を用意するのですが、赤兎馬程の名馬はなかなかおらず、1日900里を走る名馬を贈ったそうなんですが…。

当然、1日千里走る赤兎馬には追い付かず、その差100里を馬を担いで、自らの脚で走って追いついたそうです。

んなあほな!!

また、その脚の速さの秘密を調べると、周倉の足の裏には毛が3本生えていたそうです。

この毛を抜いてしまった所、速く走る事が出来なくなったそうです。

う〜ん。

科学的根拠が全くないですね。

まあ、架空の人物ですから、あまり目くじら立てる事もないのかもしれませんが…。

そんな彼ですが、関羽を祀った関帝廟が世界各国のチャイナタウンには必ずありますが、必ず、関平と共に関羽の従者として祀られているそうです。

また、湖北省当陽県麦城村(コホクショウトウヨウケンバクジョウムラ)には、彼の墓があるそうです。

このあたり、周倉が人気があったととらえるべきか、中国人が観光スポットを増やすために強引に造ったと考えるべきか…。

何にせよ、この周倉は関羽が余りにも人気があり、「自分も関羽のそばで仕えたい」という中国人の希望を具現化したものなんでしょうね。

周倉に自分を重ねて…。




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posted by たか at 01:28| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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