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2010年05月08日

黄巾の乱

三国時代の幕開けとも言える黄巾の乱。

これは張角(チョウカク)をトップとする太平道が漢王朝に対して自分の信者達を率いて起こした反乱ですね。

この張角という男。

実はいろんな説があり、実は清流派の知識人では?という話もあります。

また、科挙(カキョ/役人になる為の試験)を2度受けて2度とも落ちているそうです。

こうみると、悲しい男ですね。

この人が何故、太平道という宗教を起こし、力を持てるようになったかというと…。

まず、この人が行ったのは治療です。

患者が現れると、受付であれこれ病状を聞かれます。

一応の問診が終わった後、張角のいる部屋に通されて、そこで張角が患者を見てすぐに「あなたは膝が悪いのですね。」とか言ってその病状をあててしまいます。

処方される薬は布なのか紙なのか、はたまた板なのか分からないですが字を書いた符を渡し、それを水に浸して飲むというだけなんですが…。

こんなので治る訳はないのですが、治らなければ「信仰心が足りない」と言ってその治療を続けるそうです。
(今でもこんな話はちらほらと聞きますが…。)

張角が病状を看破するタネを明かすと、受付で病状を聞いた人が患者と一緒に張角の部屋に入り、患者の後ろから持っていた竹の棒の節目と指で張角にサインを送って病状を知らせていたんですね。

成程、かなりなペテンです。

しかしながら、当時は迷信や邪教がはびこる世の中。

こんなペテンでも一般民衆は「神だ!」なんて思う訳なんですね。

それで信者になる訳ですね。

また、当時の中国は皇帝である霊帝(レイテイ)が売官制度(バイカンセイド)というバカげたことをし始めたんですね。

これは大将軍とか、州牧、太守、とかいった役職を売る訳です。

勿論、上の位や肥沃な土地を治める役職程高い訳ですが…。

当然、その官位を買った人達は任地に行って買った費用の元を取ろうとする訳ですからそこの住民に対し重い税を課します。

また、土地土地には太守等の他にそこを治めている豪族がいたりします。

そうすると、彼等は陰祠邪教等の祠を作り、そこへの貢ぎ物という形で税金を徴収したりするため、結局農民は二重、三重の税を納めることになり、自分で耕した物が殆ど残らない状況になります。

そうすると、農地を捨てる農民が増え、太平道等の勢力に寄りかかる人が出てくる訳ですね。

そういった人達を集めて、結局太平道というのは何十万という民を率いることができ、この民衆が一斉に立ち上がったのが黄巾の乱ですね。

このおかげで劉備(リュウビ)や曹操(ソウソウ)、孫権(ソンケン)といった人達が世に出る事になるのですが…。

ただ、張角という男、清流派の知識人だったとしたら…。

こんな形の乱は起こっていないような気がするのですが…。

どちらかというと、そこまで大きな勢力を手にした訳ですから、知名度としてはかなりメジャーになっていますよね。

もし彼が清流派の知識人であったとすれば、もっと平和裏に朝廷に接触し、皇帝を太平道の信者にし、皇帝を操ることで自分の理想とする国の形を作ると思うのですが…。

実際はそうしなかった…というかできなかった。

というより、そういう発想がなかったような気がするのですが…。

そう考えると…。

やっぱり、張角自身あまり質のいい人間ではなかったと私は考えております。




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posted by たか at 03:07| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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