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2009年09月23日

龍馬暗殺1

先日、私の父親と幕末維新ミュージアム霊山(リョウゼン )歴史館に行ってきました。
来年の大河ドラマは坂本龍馬とのことで、先日、主役を務める福山雅治氏が来られたそうです。

私が行ったのは敬老の日という事で老人は入館料無料の為、父親を連れて行ってやろうと思い一緒に行った訳ですが、実は私は大阪の枚方に住んでいる為、何度も足を運んだ事のある場所です。

何度も行っているので目新しい物は特に無いのですが、入ってすぐに「龍馬を切った刀」が展示されています。
この刀は俗説で言われている見廻組犯行説からきている刀です。

今回は龍馬暗殺について少し述べたいと思います。

まず、私は坂本龍馬という男があまり好きではありません。

昔は好きな人物だったのですが、知れば知るほど評価を落として行った人物です。

結局私の現在の龍馬像というのは「死の商人」以外の何物でもないのかなと思っています。

グラバーと組んで武器を売りまくった男ですよね。

実質、彼にとっての戊辰戦争とは何だったのだろうという思いがあります。

戦争が長引けば商売は儲かる。短ければ利益は少ない。という現状で、巷で定説の、できるだけ流血を避け、徳川家も残し、平和に新しい日本へ移行させたいという龍馬像はどうもしっくりこない訳です。

また、いろは丸事件の八万三千五百両(1両を今の価格にするのは物の価値が今の価値とかなりばらつきがあるので一概には言えないが、米を基準に考えると約四万円、賃金で考えると三十〜四十万円、そば代金で考えると十二万〜十三万円となるそうです。一番安い米の価格でもこの金額は現在でいうと約三十三億四千万円)というべらぼうな金額を分捕ったり、(この事実を持って、龍馬は江戸時代の‘あたりや’という意見もあります。)私としては質のいい人間に思えないところがあります。

そもそも、坂本龍馬は今でこそかなりの人気者ですが、確か龍馬人気は昭和に入ってから沸騰したという話を聞いた事があります。
恐らく、司馬遼太郎氏の書いた「龍馬が行く」がブームを作ったのでしょう。
もしかしたら、今言われる程明治維新において重要な役回りをしていないのでは?もしくは、その実績を妬んで故意に龍馬の活躍を流布させなかったのでは?(たとえば大久保、桂、伊藤といったあたりが)という感じもします。

私の龍馬観はそれぐらいにして、話を元に戻します。

まず、当初ささやかれていた実行犯は新撰組となっております。
根拠としては刺客が龍馬を切る際に発した「こなくそ!」というセリフ。
また、現場に落ちていた刀の鞘が新撰組原田佐之助の物という伊東甲子太郎の証言があったという事。
また、下駄が残っていたという話。
先斗町にある「瓢亭(ヒサゴテイ)」の下駄で、新撰組御用達の店。

まず、「こなくそ!」については伊予の方言なので佐之助で無くても言う人はいたでしょうし、この発言自体があったのかどうか胡散臭い。

刀の鞘についてはこれを落としたら、刺客は犯行後帰る際刀を抜き身で帰らないといけない。

いくら幕末の江戸京が不逞浪士の巣窟だったとは言えこれは目立つでしょう。
目撃談が多数あるはずなのに、そういった記載は無い。

また、伊東甲子太郎は新撰組を離れ、近藤勇暗殺を企てる等、いわば新撰組に反旗を翻した者の証言できわめて信憑性に欠ける。

次に、下駄については、瓢亭(ヒサゴテイ)の下駄が物証としてあったという事ですが、大正十五年になっていきなり出て来た話で、元は岩崎鏡川が近江屋の主人井口新助の息子、新之助から聞いた話。
はやい話又聞きで、極めて怪しい。

それを裏付けるように、他藩の龍馬暗殺の調査結果では、尾張藩、鳥取藩共に祇園の「かい(単漢字にはありますが表示されません)々堂」の下駄と同じく祇園の「中村屋」の物。

こちらも怪しいといえば怪しいが、ひとつ言えるのは下駄に関してはかなり胡散臭い話と思われます。

また、近藤勇は流山で捕まった後の取り調べで、坂本龍馬暗殺を否定しています。

以上を踏まえると、原田佐之助ひいては新撰組説はきわめてあり得ない事と考えられます。
仮に新撰組としても、あれほどの暗殺集団が物証を残すことはあり得ないでしょう。

次に「壬生義士伝」(浅田次郎氏著)に記載されている斎藤一殺害説。

根拠としては龍馬が額を割られているという所。

一応、北辰一刀流の達人とされている龍馬(実際に残っている資料では目録までしか確認できていない)が額を割られるという事はあり得ない。

坂本龍馬は最後の地となる近江屋の前に、伏見の寺田屋でも襲われています。
普通は1度襲われたら警戒を強めるのが人間というもの。
増してや武士ともなれば常に身を守るという事は頭に無ければおかしいですよね。
特に龍馬は寺田屋で襲撃された際の負傷で左手の人差し指が動かなくなっている訳ですから、北辰一刀流免許(あくまで通説)の龍馬とはいえ五体満足ではない訳ですから、より一層身を守るという事に気を使っていたと考えるのが普通と思われます。
そんな龍馬が額を割られるという事は親しい人かもしくは龍馬が油断する別の条件があった事を意味します。
(但し、本当に頭を割られていたのであればですが・・・。)

そこで、浅田次郎氏が述べるには、武士は殆ど右利きだがまれに左利きがいた。という事で「壬生義士伝」の斎藤一は左利きで書かれています。

武士同士がお互い座り、面と向かって挨拶をする際に刀を自分の右側に置きます。

右利きならば、右側におかれた刀は即座に抜けない訳ですから、害意は無いというポーズとして右側に刀を置く訳です。

もしこれが、左利きならばどうか?というのが浅田次郎氏の指摘です。

左利きの剣士ならば、右側におかれた刀は即座に抜く事が出来ます。

その為、油断していた龍馬が頭を割られたという説です。

この説は当時新鮮で、なるほどと思わされました。

しかしながら、よくよく考えると、見も知らぬ人をそこまで近づけるのだろうか?という疑問と、斎藤一といえば当時の京都で有名な剣士ですので顔も有名でしょうし、左利きならばその噂も飛び交っていると考えられます。

そういう事を考えると身の危険を承知しているはずの龍馬が斎藤一を近づけるという事は考えにくいのでは?と思います。

長くなりましたので見廻組説、その他の説は明日記載します。


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龍馬の謎 サザエさん家の不思議
posted by たか at 18:37| Comment(0) | 幕末 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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