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2009年09月28日

山南敬助 切腹

26日、27日は友人の墓参りに行っていた為、お休みしてました。
すみません。

久しぶりに大学時代の友人に会う事が出来て楽しかったです。

大阪に帰ってきてPCを開けたら関東に住む友人からメールを頂いてまして、土方について、戦国時代最高軍師は?という記事のリクエストがありました。

どちらも難しい〜。

という事で、今回は土方歳三に関連するエピソードの一つについて述べたいと考えております。

幕末という時代に活躍した人物の中で、土方は1,2を争うほど好きな人物です。

結局、土方の何に魅かれているかというと明確に答えるのがまた、難しい。

そもそも私が土方を好きになった理由は20年近く前ですが、高校時代の友人に司馬遼太郎氏の「燃えよ剣」を読んだら土方が好きになるので、是非読んでみろと言われて読んだのがきっかけでした。
案の定、好きになるわけですが・・・。

その後、土方について書かれた本を色々と読むうちにさらに土方にはまっていってしまいました。

彼の関連する事件の中で、謎を多く含む物の1つに山南敬助の切腹があります。

この件を土方と山南の関係はどうだったのだろうか?という観点で私の考えを述べたいと考えております。

一般的には同じ副長であった頃から近藤が土方の意見ばかり取り上げていた事に対する嫉妬が元で確執があったとか、屯所の西本願寺への移転について意見の対立があったとか言われています。

また、実は後に脱退する伊東甲子太郎と密約があったとされる説。

逆に実は二人は仲が良かったとの説もあります。
その根拠としては土方が山南に宛てた句「水の北 山の南や 春の月」が残っていてそこには土方の好きな「春の月」が入っている事や、山の南=山南ということで仲が良かった証拠と言われています。
脱走した後も近江国大津で捕まっていたり、あまり真剣に逃げていない事ことからも、確執や対立という事はなかったのでは?との意見もあります。

また、そもそも脱走は無かったとする説もあります。
池田屋事件あたり〜切腹までの間で山南が新撰組の活動に参加していないのは病に伏せっていたという説もあります。

それらを踏まえて、2004年の大河ドラマ「新撰組!」では二人はお互いを心の中では尊重しながら、相いれない考え方をする二人が、どうしてもお互いの道をあわせる事が出来ず、最悪の結果を招くことになる。という描き方をされています。
(山南が切腹した後に近藤と土方が二人で泣いているシーンが印象的でした)

また、北方謙三氏の書かれた「黒龍の棺」では、山南と土方はかなり深いつながりがあり、結局病に侵された山南は伊東一派に接近して何をしようとしているのかを見極める事と、局中法度は幹部にも適用される事で新撰組を引き締めるという役目を自ら申し出、その通りに実践した男として描かれております。
(かなりかっこいいですよ)

私としてはまず、確執説に関してはちょっと納得できない所があります。

土方と山南が京都で新撰組を起こした際に出会ったのであればうなずける所はあるのですが、試衛館時代からのつながりがある訳ですし、二人が副長に指名されたのも試衛館時代からおのずと出来上がった席次ではないかと思います。

そんな二人に確執があったのであれば試衛館時代からあるはずでは?
それでは土方が山南に宛てた句「水の北 山の南や 春の月」の説明がつかなくなります。
むしろ、敬慕していたと考える方が筋では?

また、脱走した山南が大津で捕まっている所も、納得がいきません。

本当に確執があり、脱走をしたとすれば、その時点で土方には負けている事になり、新撰組に戻ったら切腹が待っているわけですから、必死に逃げるでしょう。
大津でうろうろしているという状況はあり得ないですよね?
ちなみに、この脱走話は山南の死後五十年以上たった後に永倉新八、八木為三郎の回顧談で唯一出てくるのですが、それ以前に示した永倉新八の「新撰組始末記」には無い。
恐らく、脱走は無かったのでしょうね。

今回は土方と山南の関係という観点で書くつもりでしたが、話がずれていってしまいました。すみません。

私としては、土方と山南の間に確執は全くなかったと考えております。

二人の関係としては、本文でも紹介した北方謙三氏の「黒龍の棺」が一番的を得ているのでは?と考えております。

ただ、山南の切腹の真相については色々な説がネット上にありますので、興味のある方は一度ご覧ください。

「山南敬助 切腹」で検索すると出てきます。

最後に、山南は「やまなみ」と読むのでは無く、「さんなん」と読むのが正しいようです。

山南を指して、「三南」、「三男」と記載されている物があるとのことです。



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posted by たか at 17:30| Comment(3) | 幕末 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私もそのとおりと思います。
子母澤の新撰組顛末紀や司馬遼の燃えよ剣 等、時代小説は山南切腹を脚色されており、土方との確執は無かったと思います。
私事ですが
この間、新潟・長岡に出張し土曜日戻りでしたので、途中 山本五十六記念館と河井継之助記念館に寄ってきました。

長岡の小学生達が郷土の英雄の生涯勉強していましたよ。
山本五十六記念館には撃墜された、一式陸功長官機の左翼と長官の座席が展示されていました。

それではまた!
Posted by 京橋会元会長 at 2009年10月01日 23:39
京橋会元会長殿!

お久しぶりです。

僕のブログへのご来場及びコメント、誠にありがとうございます。

長岡藩へいかれましたか。
いいですね。

僕もお金を稼いでいつかは行こうと思ってます。

京橋会はまだ細々とやってます。
大阪に来られる際はご連絡ください。
僕もそちらに行く際は連絡します。

話は変わりますが、山南は北辰一刀流ではなく小野派一刀流だったらしいですね。

新撰組研究家の清水隆氏の発見により発覚したそうです。

また、2007年3月11日に「山南忌」を催され、前川邸を公開したそうです。

知っていたのであればいったのですが・・・。

また、開催されることを期待します。

お忙しいでしょうが、また僕のブログに遊びに来て下さい。

それではまた、よろしくお願いいたします。
Posted by たか at 2009年10月02日 02:59
67歳で初めて「渋太夫自害」を書きました。
内容は奥羽の戊辰戦争と山南敬助。
桜田家(仙台藩北辰一刀流)と清河八郎・坂本龍馬・山岡鉄舟・山南敬助。
ご購読いただければとメールいたしました。(各書店で販売中)
無名の新人ですので取り寄せになると思います。
オンライン書店「アマゾン」で、目次や書き出し部分閲覧可。
メールいただければ「桜田系図」・「啓天のひとり言」添付します。
ご紹介までよろしくお願いいたします。
Posted by 啓天 at 2013年12月27日 20:18
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