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2009年11月05日

わが故郷枚方

私は大阪の枚方に住んでいますが、もっと限定すると、サダ(足ヘンに差と書いて‘サ’、足ヘンに它とかいて‘ダ’と書きます。単漢字には登録されていますがブログをアップした際にダが表示されません。)と言い、この地名は地図には出てきません。

しかしながら‘サダ’という字のついた学校や幼稚園、保育園が多くあります。
(私の通っていた中学校は国道1号線から見える位置に有り、大きな看板を掲げていますが、この‘サダ’という字が読めないので、何て読むのか?という質問の手紙がよく来たそうです。)

そもそも、この‘サダ’という地名は菅原道真公に由来します。

延喜元年(901年)、菅原道真公が太宰府へ左遷される途中、山の上で休憩したのですが、その後を娘の苅屋姫が追いかけたが、あと少しの所で間に合わず、足摺り(地団太踏んだとも)して嘆いたと言います。

その事からその山を「サダ山」と呼ぶようになりました。

太宰府でその話をきいた道真公は三尺二寸の自身の木造を作り、苅屋姫に送りました。

その後、天暦5年(951年)、サダ山に社殿を造営して木造を近隣25箇村の産土神として祀り、サダ神社が出来ました。

慶長19年(1614年)の大阪冬の陣の折、社殿は焼失したが、神像は無事で現在の位置(枚方市南中振)に再建されたとの事です。

江戸時代までは境内には聖徳太子が開基したと伝えられ龍光寺があり、宮寺とされていたが、明治の神仏分離で廃され、仏像や曼陀羅等は近くの浄土院に移されたそうです。
(薩長コノヤロー!!)

菅原道真公を祀る天満宮は各地に有りますが、大体建立時期が950年前後です。

これは菅原道真公の死(903年)後、平安京で雷などの天変が相次ぎ、清涼殿への落雷で大納言藤原清貫が亡くなった事から人々が「道真公のたたりじゃ!」と言って恐れ、その怒りを鎮める為に社殿を建立した訳ですね。

今回の記事は私が小さい頃に学校で学んだ郷土史とWikipediaを参考に記載しましたが、サダ神社は移転されていた事を初めて知りました。

また、この記事自体、サダ山で書いています。
(山と言ってもそんなに高い山では無く、丘程度ですが…。)

これからも‘サダ’については記載していきます。
ラベル:枚方
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posted by たか at 15:37| Comment(2) | 枚方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
サダについて調べていきましたら
このページにたどり着きました。
参考になりありがとうございました。

私もブログを今年から立ち上げました。
名古屋出身ですが香里ヶ丘在住20年です。
よろしくお願いします。
http://blogs.yahoo.co.jp/t_exit_deguchi
Posted by でぐりん at 2010年03月14日 18:44
でぐりんさん。

私のブログへの訪問及び、コメント頂きまして、誠にありがとうございます。

枚方の事をもっと書いていくと言いながら…すみません、サボってます。

本当は書きたい事があるのですが、色々と訪問しないといけない所があり、まだ訪問できてない状態です。

なんとか今月中にアップできるようにします。

今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by たか at 2010年03月15日 02:56
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