ブログランキング【くつろぐ】
スポンサードリンク

2009年11月18日

邪馬台国論争に決着?

11月10日に奈良県桜井市で3世紀前半の国内最大規模の大型建物跡など、2棟がみつかったと発表がありました。

これを受けて邪馬台国論争が熱を帯びてきていますね。

邪馬台国は1986年に発掘された吉野ヶ里遺跡を有する佐賀の九州説と纒向遺跡を要する奈良説に分かれて争っていましたが、どうやら奈良になりそうな気配です。

普通に考えると奈良ですよね。

私の知っている限り(といってもこの時代はあまり詳しくないです。人の名前が覚えられなくて…。)藤原京―平城京―難波宮―平城京―平安京…と続いていくと思うのですが、藤原京の前は奈良なんですよね。

Wikipediaで調べると何個か都の名前が出てきますが、結局みんな奈良でした。

都の存在が判らない時代からいきなり奈良に都が表れるのも不思議な話ですよね。

仮に、佐賀が邪馬台国の首都とすれば、いきなり奈良に遷都するのでしょうか?

やっぱり奈良ですよね。

でも、私が小学生の頃に読んだ本(ちょっと本の名前とかは忘れましたが…)では、「邪馬台国は実は徳島にあった!」なんて冒険的な事を書いている本を読んだことがあります。

その根拠は徳島には祇園とか大坂といった地名が残っていたり、卑弥呼の墓と伝えられる古墳があったりするらしい。

その古墳の最上部には五角形の石が置いてあり、昔は五角形は星を意味し、五角形の石があるという事は当時の最高権力者の証であると書いてました。

また、日本創生の伝説で神様がドロドロした液体をかき混ぜていてそのかき混ぜ棒を液体から持ち上げて出した時に落ちたしずくが日本になったという話がありますが、一番最初にできたのは淡路島らしいですね。

淡路という言葉は「阿波へ行く道」と解釈されるので、最初に阿波へ行く道を作った等と書かれてました。

また、阿波踊りは卑弥呼が死んだ際に悲しみを紛らわすために陽気な踊りを昼夜踊り続けた事が起源となっているというような事も書かれてました。

しかしながら、この本以外、「邪馬台国は徳島だ!」という説をそれ以来表だって聞いた事がありません。
(YAHOOで「邪馬台国 徳島」で検索すると何個かヒットするのですが)

何にしろ、今回の発掘で恐らく、邪馬台国は奈良という説が最有力になるのでしょうね。

吉野ヶ里等もまだまだ反発するでしょうが、そこには学説以外に観光資源で儲けたいとう思いが見え隠れするのはちょっと残念です。

ちなみに‘卑弥呼’は権力者の割にいやしいという字が用いられていて違和感があろうかと思われますが、理由は、卑弥呼の記述が中国の正史三国志の中の魏志倭人伝に出てくるからです。
(当時字を持たなかったと思われる日本人には記録を残すことが無理でした。)

当時の中国は黄河と長江に挟まれた平野部を中原と呼び、世界の文化の中心と考えていました。

ゆえに、この地域から外れる地域は文化程度の低い野蛮な国としてそれ相応の字が用いられています。

例えば、三国志で有名な荊州は荊(いばら)という字を用いたり、蜀という字は漢字に虫が入っていたり、あきらかに見下したような字が用いられています。

中原の人々は、その地域から外れる所に住んでいる人々を、現在我々が勝手に想像するアフリカの小部族やアマゾンの密林に住む小部族のようないわゆるシャーマン的な印象を持っていたようです。

話を戻しますが、この遺跡、奈良県にありますので、できれば行ってみたいと考えております。
(ただ、私有地に出てきた遺跡の為、埋められるかも知れないそうです。)
ラベル:邪馬台国
posted by たか at 02:16| Comment(1) | 邪馬台国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は違うと思います。
邪馬台国は博多湾岸にあったと思います。私は、魏志倭人伝の記述、考古学的な結果、どこからも、邪馬台国=大和説は成り立たないと判断しています。
是非、もう少し、慎重なご研究を期待します。

参考に以下のサイトをご一読ください。
長い論文ですが、最新の研究成果を反映し力作です。
http://www2.ocn.ne.jp/~jamesmac/body.html
Posted by 山野草 at 2012年12月02日 17:18
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。

お小遣い稼ぎ総合支援サービス 豚の貯金箱 ブログランキング【くつろぐ】