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2009年11月26日

卑弥呼は殺されていた? その2

昨日に引き続き、11月21日放送の「世界・不思議発見!」で語られていた「卑弥呼の死」について記載します。

気候変動、2年連続の日食、アマテラスの神話を結びつけたら以下の推論が出てきました。

太陽の巫女である卑弥呼の館は朝日を背景に建っていました。

240年から再び寒冷期がはじまり天候が悪化。

247年には卑弥呼の象徴だった太陽が欠けながら沈んだ。

これにより、卑弥呼の権威は完全に失墜しました。

古代社会では衰弱して力が衰えた王は魂を若い後継者に移す為に殺された例が多いそうです。

それと同じように卑弥呼も殺されたのではないだろうか?

そして翌年(248年)、欠けた太陽が満ちながら昇った時、そこに人々は太陽の巫女卑弥呼の復活を見た。

その為、卑弥呼の力を受け継いだと考えられる親族の台与(とよ)が女王になりました。

つまり天岩戸神話におきかえると天岩戸に隠れたのが卑弥呼で、次に現れたのが台与(とよ)であるという訳です。

以上が卑弥呼は殺されたのでは?という説の概略です。

まあ、筋は合っているような気がしますが…。

卑弥呼の死はたまたまタイミングが太陽が欠けながら沈んでいく年とかぶっただけかもしれません。

ただ、古代の日本人がその状況を見て、「卑弥呼の時代は終わった。新しい王が立たなければ…」なんて思ったかも知れませんね。

それが過激になると卑弥呼を殺すという事につながるかも知れませんが…どうでしょう。
(この時代にあまり詳しくないので、コメントは控えます。)



卑弥呼の死後、人々は卑弥呼に畏敬の念をこめて箸墓古墳に葬りました。
(勿論、奈良に邪馬台国があったとしてですが…。)

箸墓古墳は発掘により二重の濠で囲まれていた事が発見されているそうです。

二重の濠が一般化するのは4世紀と言われ、これにより、箸墓古墳は最初の前方後円墳といわれるにふさわしい特別な古墳だった事が分かるそうです。

前方後円墳は新しい信仰の始まりだったとの事。

前方後円墳は丸い部分の頂上に王を埋葬し、四角い部分でお祭りを行っていたそうです。

前方後円墳のお祭りというのはそこに葬られる者に対する祭りとなります。

古来より、一般的に祭りは神様を祭ります。

前方後円墳の祭りは、そこに埋葬されている王そのものがある意味神になり、神格化されていったと考える事が出来、今までの土地を祀った信仰から天を祀った信仰に変化し、次に王を祀ったという事から、新しい信仰ともいえる訳です。

無くなった王を神とする新しい信仰が前方後円墳から始まったとするならば卑弥呼が埋葬されたと考えられる箸墓古墳から始まったとしてもおかしくないですよね。
(逆に、日本の最初の王から始まる方が自然ですね。)

ちなみに、神格化された王はどのように埋葬されたのか。

茶臼山古墳(奈良)にその形を見る事が出来るそうです。

この古墳は前方後円墳で、当然丸い部分の頂上に王を埋葬した石室があります。

その石室内部は真っ赤に染められていたそうです。

赤というのは聖なる王を守るための魔よけを意味するそうです。

その聖なる石室を俗界から切り離すために丸太の柱で結界が作られていたそうです。

なる程ですね。

「世界・不思議発見!」、為になりますね。
ラベル:邪馬台国 卑弥呼
posted by たか at 00:20| Comment(0) | 邪馬台国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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