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2010年01月27日

三顧の礼

「三顧の礼(サンコノレイ)」という言葉は三国志を読まれた方はもちろん、読まれていない方も耳にした事のある言葉では無いでしょか。

言葉としては現代では故事成語の一つとして使われる言葉です。

三顧の礼の概略としては、207年に荊州(ケイシュウ)の劉表(リュウヒョウ)に客分として養われていた劉備(リュウビ)が諸葛亮孔明(ショカツリョウコウメイ)を参謀として迎える為に3度孔明の庵を訪れてようやく幕下に加える事が出来たという故事です。

そこから、重要な人材を招く際に使われる言葉として現代にも残っています。

ちなみに、日本史では戦国時代に羽柴秀吉が竹中(半兵衛)重治を迎える際に三顧の礼をつくしたとして出てきます。
(この際は7度訪れたとか9度訪れたといった話も…。)

三国志演義を読んでいると、このくだりは孔明の神秘性や、その後の活躍を期待させるに十分な効果を持ってます。

しかしながら、あまりにも有名なこの故事、無かったという説もあるのをご存知でしょうか?
(って有名な話なので、知っている人も多いですよね。)

三国志の時代を書いた歴史書の中で「魏略(ギリャク)」という書物があります。

これによると、「諸葛亮は自分から劉備に会いに出向いた」という記載があるそうです。

この事は正史三国志の中でもその注釈を書いた裴松之(ハイショウシ)が指摘されてます。

三顧の礼というのは普通に考えればあり得ない話なんですよね。

現代でいえば、47歳の大臣経験者が27歳の大学を出て家業(この場合は農業)にいそしんでいる人物の元にスカウトに表れて、しかも3度も訪れたという状況になるでしょうか…。

いかに名声が高くてもそんな事があり得るでしょうか?

また、言葉は通じたのでしょうか?という問題もあります。

当時の中国は言語が統一されていませんので…。

まあ、普通に考えたらあり得ない話ですよね。

ただ、三顧の礼は事実とする根拠もあります。

それは、正史三国志の中に北伐に向かう孔明が劉禅(リュウゼン/劉備の子、蜀の2代皇帝)に奉ったと言われる「出師の表(スイシノヒョウ)」です。

一応、この文は諸葛亮の作とされ、この文の中に「三度草盧のうちに顧み…」ときうくだりがあります。

これがもし、正確に伝わっているとすれば、一番信憑性の高い資料という事になります。

私的には…

三顧の礼は常識から考えるとあり得ないのですが常識で測れないのが劉備。

あってもおかしくないかな?なんて思います。
(諸葛亮本人も言ってますし、ロマン的にもあった方が面白いですしね。)



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posted by たか at 14:57| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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