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2010年08月31日

土方歳三と刀

新撰組の鬼の副長、土方歳三の刀と言えばまずは私のブログのURLにもなっている「和泉守兼定」が一番有名ですよね。

司馬遼太郎氏の「燃えよ剣」なんかを読んでいても、朱鞘の和泉守兼定を求めるシーンがありましたね。

和泉守兼定というのは室町時代の美濃国の刀工であった初代兼定の子で2代兼定の事を差すようですね。

この、2代兼定の作刀期間は明応2年(1493年〜大永6年(1526年)ごろまでらしいですね。

ただ、土方歳三の遺品として残されている兼定は11代兼定の作(二尺三寸一分六厘)で2代兼定ではないようですね。

京都では二尺八寸の11代兼定をしようしていたそうです。

以上、Wikipediaを参考にさせていただきました。

恐らく、人を斬りすぎてその血で「刀の中子が腐った」と当人が言っていたのはこの二尺八寸の11代兼定の方なんでしょうね。
(もしくは、本当に和泉守兼定を持っていてそれが腐ってしまったのかも…。)

ちなみに脇差は堀川国広と言われてますが、国広は2尺以下の刀を打っていないとされているそうで、歳三が所持していた国広は1尺9寸5分で、「贋作だったのでは?」と言われているそうです。

堀川国広の部分もWikipediaを参考にさせていただきました。

まあ、人を斬る事が多い新撰組にいて、「いわゆる名刀と言われるキレ味抜群の刀が必要だった」とは思うのですが、そういう刀って本当に実戦で使ったんですかね。

名刀はブランドでもあるので「土方歳三は和泉守兼定」というステータスが欲しかったんじゃないのかな?なんて思ってしまいます。

すると、そんな名刀、バンバン手に入るとは思えませんので、やっぱり本物は持っているが、いざという時にしか使わないようにして、実戦では出来るだけキレ味が良くて、結構手に入る刀(ある程度入手困難だとしても、激レアとまではいかないもの)を使ってたんじゃないのかな?なんて考えています。

だって、人を斬れば刃こぼれもおこしますし、何度も砥げば刀も痩せますし…。
(勝手な私の意見ですが…。でも、壬生義士伝でも刀が痩せたなんて話出てきますしね。)

だから、遺品として残っているのが11代兼定のものだったんじゃないのかな?(本当は和泉守兼定を持っているが…)なんて思ってます。

和泉守兼定はこの時代から行くと200年以上昔に作刀を止めてますので、激レアだった???

なんて想像すると、そうバンバン手に入る刀ではなさそうですし…。

と勝手に思ってます。

だから、土方は和泉守兼定を持っていたが、遺品としては残っていないのでは?というのが私の意見ですね。

ちなみに、昨年日野本陣に行った時に、確か佐藤彦五郎記念館で聞いた話だったと記憶しているんですが…。
(すみません、場所は記憶違いかもしれませんが…)

土方から送られたという刀が展示されていました。

その刀は有名な人(名前忘れましたすみません)が誰々(こちらも名前忘れましたすみません。)を介錯をした際に用いた刀という文を合わせて土方から佐藤彦五郎に送られていました。

当時はそういう有名な人が介錯をした刀とか、有名な人が介錯された刀とかはブランド物だったようです。

土方は結構ブランド物の刀を持っていたという話でした。

という事は…。

案外この人、かなりの刀剣マニアだったのかも知れませんね…。

だから…。

和泉守兼定も持っていた!!と思いたいですね。


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posted by たか at 02:12| Comment(1) | 幕末 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
興味深く記事を読ませてもらいました。
日野の土方歳三資料館にある兼定を12代兼定という人がいるので、僕も長くそう思っていましたが、やはり11代が正しいようですね。
会津兼定は11代までしか居ないのが会津刀工系図でわかりました。
11代兼定は、京都守護職にあった松平容保公と行動を共にしていたようで、鳥羽伏見の戦い以後会津に戻っています。
京都時代は新撰組などから多数発注があったようですし、隊士たちで兼定を分配していたようです。
土方歳三だけでなく、近藤らも使っていたような記録もあります。
歳三は京都時代には2尺8寸の兼定を使っていて、脇差として1尺9寸5分の国広を使っていたようですね。
1尺9寸5分と言うとほぼ大刀に近い長さですが、大刀を2尺8寸の兼定だった事を考えるとバランスとしてはうなずけますね。
2尺以下の国広は現存していますよ。
旗本並みにまで出世した歳三なら持っていてもおかしくないですよね。
近藤も刀は好きだったようで、虎徹以外にもいろいろ持っていたようです。
戊辰戦争で負傷中の歳三が会津で療養中に、会津に戻っていた兼定に城中で会い、2尺3寸の刀を打たせたのだと僕は考えています。
京都の市中警護には長い刀が有効でしたが、戊辰戦争では野外戦が主。
それに刀で闘う戦ではなく銃による戦闘に世の中が変わり、携行に便利な短くて軽い刀を作らせたのでしよう。
市村鉄太郎に持たせたのは、刀の必要性が無くなったからだと思います。
そして手元に国広を残す事で十分と考えたのでしょう。
切れ味としては国広の方が良かったのかと思います。
今なら国宝級の刀ですからね。
Posted by ソウルマン at 2014年06月15日 14:03
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