ドラマとして見て、岩崎弥太郎は良い味を出してました。
この岩崎弥太郎の描き方については放送当初から色々とクレームがありましたもんね。
あの三菱財閥からのクレームでしたね。
汚すぎると…。
しかしながら、龍馬伝は全くその汚さや自己中さ、傲慢さを変えずに放送し続けましたね。
それはそれで凄いですが…。
しかも、あの最終回の弥太郎の死にざま…。
私も「ちょっとひどいよな」とは思っていたんですが、ネットで検索したら批判があったようですね。
週刊ポスト2010年12月17日の号に載るそうですが
『龍馬伝』岩崎弥太郎死亡シーンに弥太郎の子孫唖然とする
という記事です。
問題のシーンはテロップが流れている所で目を見開いて横たわる弥太郎のアップが流れるシーンですが…。
その記事によると…。
弥太郎の玄孫(やしゃご=孫の孫)に当たる民主党の衆議院議員・木内孝胤氏は…
「確かに最後の岩崎の死に方はエーッと思いましたね。ドラマは個人的には楽しませてもらったけれど、最後はあのような死に方じゃなくて、もう少し偉業を成し遂げたシーンを盛り込んでもらいたかった」
曾孫の熊本大学名誉教授で、地質学・古生物学の権威である岩崎泰頴氏は…
「(弥太郎は)病院に入院して死んだと私は聞いていたのですが……。3代も前のことで『龍馬伝』の岩崎像が事実かどうかもわかりません」
とコメントされているそうです。
じゃあ、実際の弥太郎はどうだったのかというと…すみません。
私は明治以降はあまり興味が無く、細かい所まで詳しくないのでその記事から抜粋させていただきます。
史実はというと、弥太郎は胃がんのため50歳でこの世を去った。
晩年は六義園(岩崎家別邸)で療養していたが、明治18年(1885年)2月7日の夕刻、家族と主だった部下を病床に集めて激痛に耐えながら遺言を告げ、息を引き取った。最期を看取った医師によると、「多くの人の臨終に立ち会ったが、かくの如く森厳な力のある遺言を述べ、従容自若、死に対した人を見たのは初めて」(『岩崎彌太郎傳』)だったという。
『岩崎弥太郎と三菱四代』(幻冬舎新書)の著者、河合敦氏はこういう。
「弥太郎の最期は状況がはっきりしているので、ドラマは完全に作り話です。フィクションとはいえ、見た人の中にはドラマの内容が史実だと思ってしまう人も多いでしょうね」
との事ですね。
確かに、この龍馬伝では岩崎弥太郎は本当に色のついた描き方をしていました。
恐らく一代で三菱財閥を築いた岩崎弥太郎という男は、勝手に想像するに、バイタリティーの塊だったであろうと思われます。
そこを表現したかったという事でしょうか。
別に、最後の弥太郎が死ぬシーンは史実通りでも十分に格好良く、十分にバイタリティーあふれた男の最後を描くことができたんじゃないかと思いますが…。
あまりこういった類の作品、見ないのですが
何故か「最終回」だけ観ていました。
三菱財閥を築いた岩崎弥太郎という男
↑
僕は高校の日本史程度の知識しかないので
新鮮に観ました。
お久しぶりです。
訪問および、コメント、ありがとうございます。
私も、岩崎弥太郎についてはそれほど詳しい訳ではないのですが、龍馬伝の岩崎弥太郎はちょっと汚すぎで嫌な所をふんだんに出しすぎと感じていました。
ただ、こういう描き方もありではないかとは思っていましたが…。
バタバタとしていてブログもあまりアップしていないですが、龍馬伝が終わった今、また三国志等の記事をアップしていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。