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2010年12月14日

2011年大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」

12月も半ばになって、いよいよ2010年も終わりですね。

2011年の大河ドラマは「江〜姫たちの戦国」です。

この所、幕末だった大河ドラマが一気にまた戦国時代に戻りました。

ドラマのネタとしては良い所に目をつけていますよね。

市とその3人の娘は確かに数奇な運命に翻弄されますもんね。

来年の大河ドラマに向けて、キャストを見て予習をしてます。

ちょっとお気に入りのキャストは黒田官兵衛を演じられます芝俊夫さん。

芝俊夫ファンではないですが(でも結構すきな俳優ですよ)、黒田官兵衛に合いそうですね。

また、豊臣秀長も出てくるんですね。

これはちょっと興味があります。

豊臣秀吉を語る上で欠かすことのできない存在であるはずの秀長って、あんまり出てこないですもんね、ドラマなんかだと…。

豊臣政権は秀長の死を境に下り坂になりますもんね。

そんな秀長はドラマや映画に出てくると、本当に田舎のあんちゃんという感じに描かれるか、品行方正な弟として描かれますが…。

今回はどんな秀長を見せてくれるのでしょうか。

浅井長政を時任三郎氏が演じるのもいいのですが、浅井長政の享年は29歳。

ちょっと年齢が…。

でも、渋いからいいか。

それよりも気になるのは、竹中半兵衛が出てくるのかどうかという所。

浅井家が関わっているので、出てくるはずなんですけどね。

また、竹中半兵衛は誰が演じるのかですね。

まあ、原作を読んでないので、竹中半兵衛が出てくるかどうかは知りませんが…。

posted by たか at 16:13| Comment(0) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月17日

石田三成の才覚

この所、幕末ネタ、三国志ネタばかりで、全く戦国時代ネタを書いてませんでした…。

という事で!!

強引にネタを作ってみました。

先日、何かのテレビで見ましたが最近の教科書には豊臣秀吉よりも石田三成の方が多く出てくるそうですね。

「へぇ〜」って思うのと同時に、「どうかしてるぜ!日本の歴史教科書!!」って思います。

まあ、関ヶ原の部分で多いんだと思うんですが…。

秀吉は三成の主君ですよ!

何故に負けるんだろう…。

秀吉は天下統一したし、太閤検地、刀狩り、利休の切腹、朝鮮出兵等々…。

教科書に取り上げられそうなネタも三成よりもかなり多いと思うのですが…。
(三成って朝鮮出兵と関ヶ原くらいでしょ?まあ、太閤検地にも絡んでますが、そこまで教科書で書くとは思えないし…)

この事実、私はほんとうに???ですね。

前置きはこれくらいにして…。

じゃあ、石田三成ってどういう男なんだろう…と考えた時、私にはあまり良いイメージがありませんね。
(多くの人もそうだと思いますが…)

秀吉の側近として、太閤検地等に関わり、かなりの頭の切れを発揮した男なんですが、その後はダメダメですね。

以前なにかの映画で(「梟の城」だったと思いますが…)三成がぼけてきた秀吉を上手い事使っているシーンを見た事がありますが、私のイメージも結構そんなところですね。

この人が崩れだすのは、恐らく秀吉の朝鮮出兵の頃からでしょうね。

この頃から加藤清正や福島正則といったいわゆる武断派の人達との溝が深くなっていきますし…。

この人のええ加減な対応が気になる所です。

明や朝鮮からの使者と秀吉の間に立って、どちらにもいい事を言い(要はちゃんと通訳をしないで話している事を捻じ曲げて場を取り繕うとした)、その結果、再度の朝鮮出兵となり、そこでも講和を進めようとするんですが、不調に終わってます。

三成から言わせれば「豊臣家の為にやった事」となるんでしょうが…。

私に言わせれば、「豊臣家の為を思うのであれば、一番やってはいけない事」です。

小手先の口車で盤石な講和を結べるわけがない。

すぐに再戦となりますよ普通。

また、武将としての才覚は…。

これがまたひどい。

関ヶ原の際も総大将は毛利輝元なんですが、実際の総大将は三成のようなものでした。

この時点で、もう関ヶ原は負けているんです。

三成の才覚云々以前に、全国的にも小規模の領土しか与えられていない大名が大大名達を動かすんですから…。

そういう立場であるにも関わらず三成は軍議で島津や他の大名が提案した夜襲を一蹴したり、その他の策も取り入れていません。

大名側からすれば、格下の大名に自分の提案を一蹴される訳です。

こら、やる気をなくしますよね。

しかも、戦の経験の少ない青二才に…。

本当に身の程をわきまえない男です。

また、関ヶ原にしても…。

大垣城に寄り美濃にて家康軍を食い止めるはずが、そこは攻城戦の苦手な家康。

あえて西に向かい、その動きをみた三成が決戦の地を関ヶ原と踏み、先に現場について有利な土地を占拠しようとして夜通し駆けて、先に到着、見事な迎撃の陣を敷きます。

ここも、武将としてダメな所なんですが…というか戦の経験のなさというか…。

まず、有利な地形を占拠するのは戦の常識ですが、夜通し駆けて早朝から戦というのは、かなり無理な話です。

人はサイボーグではないんですから…。

さらに軍議での態度から、積極的に協力してくれる大名をかなり減らしています。
(実際に戦の際、鶴翼の陣の右翼は全て家康に寝返り、島津は全く動かなかったですからね。)

これではどうあがいても勝てるわけがありません。

この一連の流れを見ると、この人は野戦の将としては最低ランクの武将だと言えますよね。

机上では正しい事も、実際にそれを実行するにはタイミングや条件によって正しくなくなる事もあるんですね。

そこが分かっていない、悲しき秀才ですね。

この石田三成を思うたびに、永田町に巣食う官僚達と全く同じだなと感じてしまいます…。

能力は認めるが、なんとなく好きになれない武将です。



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posted by たか at 02:58| Comment(0) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月07日

信長とキリスト教

織田信長は映画や記録等から見ると、南蛮物の鎧を着て、いつも黒人を一人側に侍らせ、キリスト教の布教を容認し、宣教師達とも付き合い…。

ともすれば、キリスト教信者なのかと思われるような動きを見せています。

しかしながら、彼は紛れもなく仏教徒です。

比叡山の焼き討ちなどから、彼は仏教を憎んでいたとか無神論者だという見かたをされる方もおられますが、恐らく、それは間違いと思います。

彼は何よりも現実主義者、合理主義者なんですよね。

彼が比叡山を焼き討ちにしたのは、恐らく、人の魂を救うのが坊主の役目であるにも関わらず、武装して浅井、朝倉をかくまっているという状況が許せなかったのでしょう。

当時の比叡山は仏教の日本における聖地ですし、そこに胡坐をかいてやりたい放題の坊主どもに我慢がならなかったんだと思われます。

比叡山側としては仏教の聖地に攻め込んでくる奴などいないなんてたかをくくっていたんでしょう。

それが、比叡山焼き討ちにつながったんでしょうね。

信長という男は昔からの権威などは殆ど気にも留めない男だったんでしょうね。

それよりも、今現在坊主がどういう動きをしているのか、本来の仕事をちゃんとこなしているのかという所に主眼をおいて、本来あるべき姿ではない坊主どもを討伐したというのが彼の考えではないでしょうか。

この比叡山の焼き討ちはものすごい規模を焼いたという説と、実はちょっとだけ焼いたのみとう説とあるそうですが…。

その話はまたにして、本題に戻します。

また、キリスト教を保護しながら、彼自身は洗礼を受けていませんね。

キリスト教は異国の文化ですので、当然異国人達が広めるのですが、彼等は当時の日本に無いものを数多く持っていました。

例えば地球儀、望遠鏡、もちろん鉄砲、大筒等々。

そういった物や技術を手に入れる為に付き合っていたんでしょうね。

そのあたりはいかにも合理的な彼らしいです。

ここまで私のブログを読んで下さった方々は「キリスト教信者ではない事はわかったが、仏教徒かどうかは判らないのでは?」と思われるでしょうが…。

私が仏教徒であると考える一番の要因は、安土城にあります。

信長は安土城を築城するにあたって、その中にハ見寺(ソウケンジ)という寺を建立しています。

建物は近隣の社寺から多くの建物を移築して建立したようですが…。

仏教徒で無い人が城の中に寺を建てるでしょうか?

やはり彼は仏教徒だったと考えるのが自然かと思われます。

ちなみに…。

信長がキリスト教を気に入った理由として、もう1つあると聞いた事がありますし、私もそう考えているのですが、それは神が人であるという事です。

キリストが死んで神になった訳ですから…。

そこに信長は恐らく、自分も神になる事が出来ると考えたのではないでしょうか。

信長は恐らく、日本を統一していたならば、朝廷の帝に取って代わる事はしなかったと考えています。

そんな存在をも超える事。

神になる事を望んでいたのではないでしょうか…。

神になると帝の存在を超えてしまう訳ですし、そうなると帝に取って代わる意味が無くなりますし、もっと言うとわざわざ帝を廃さなくてもいい訳です。

神になりたかった男…。

私は信長をそう見ています。
posted by たか at 00:59| Comment(0) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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