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2010年03月05日

恐怖!車懸りの陣!

車懸りの陣を御存じでしょうか?

元々、陣形というのは中国から伝わった八つの陣形がメインでした。
(鶴翼/カクヨク、魚鱗/ギョリン、雁行/ガンコウ、鉾矢/ホウシ、方円/ホウエン、堰月/エンゲツ、長蛇/チョウダ、衡軛/コウヤク)

その他、書物でのみ見れる陣形として、八卦の陣、八門金鎖の陣等がありますが…。

そんな中で上杉謙信が得意としたと伝わる陣形が車懸りの陣ですね。

陣というか戦法でもある訳ですが…。
(でもこの戦法を使うにはそれなりの陣形が必要ですよね。)

戦い方とすれば、自軍は円形の陣を取り、相手の先陣部隊に自軍の先陣があたりますが、しばらくすると陣を回転させて次の部隊が相手の先陣にあたる。

また、しばらくしたら陣を回転させて次の部隊があたる…。

という事を繰り返し、常に相手の先陣に対して新しい部隊をあてていき、相手は戦い続けて疲れが出てくるのに対し、こちらは常にフレッシュな部隊をあてる事により、圧倒的優位な戦いを展開するという陣形なんですが…。

理屈は解りますし、有効かもしれませんが、この陣って相当疲れないでしょうか?

各部隊の移動距離が半端じゃないような…。

ちなみに、相手が鶴翼の陣を取った場合、相手の用兵次第ではすぐに囲まれますよね。

勿論、鶴翼の陣というのは鶴が羽を広げた形をとり、その首に当たる部分(要は中心)に厚みを持たせる事が出来ないので、ここを突破されたら両翼は各々何の変哲もない横陣となってしまい、壊滅してしまう陣形です。

そこを車懸りで攻めてしまえばいいのですが…。

微妙な勝負になりそうですよね。

当然、鶴翼の中心を攻めに来る車懸りの陣形に対し、鶴翼は両翼を閉じて包囲する形を取ろうとしますよね。

包囲されれば車懸りの効果は全く無くなり、下手すれば方円の陣になってしまいますね。

そこが勝負の分かれ目になるんでしょうが…。

この陣形、本当に有効なんでしょうか?


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posted by たか at 02:09| Comment(0) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月27日

大谷刑部の病気

大谷吉継という武将は地味だけどなかなかの活躍をした武将でした。

生まれた時期がもう少し早ければ、かなりの名将として名を残したかもしれませんね。

この人は病気で、関ヶ原の頃はもう目も見えなかったそうですね。

惜しい人物です。

この人の病気には諸説ありますが、一般的にはライ病(ハンセン病)とされています。

しかしながら、ずいぶんと前に見たテレビでちょっとタイトルを忘れてしまった(歴史秘話ヒストリアだったと思うのですが…違ったらすみません)のですが、大谷吉継はライ病ではなかったというのを見た事があります。

それによると、大谷吉継の病状を記載した物をじっくりと医者に読んでもらうとライ病ではないらしいのです。

そこでその医者が下した結論は「進行性梅毒」でした。

この病気は感染後10年以内に発病するとの事で、関ヶ原の頃の大谷吉継が重度の難病にかかってましたのでそこから10年以内にあった事と言えば…。

そう、朝鮮の役です。

この戦に大谷吉継は出兵してますが、どうもここで感染したのでは?と結論付けてました。

戦というのは結構破廉恥な物で、女の人を帯同しませんので陣中の性のはけ口として小姓を連れていったり、攻め取った土地の女性をさらったりしていたらしいです。
(ちなみに、そういう事が目的で城を落そうとした軍もあるらしいですよ。恐ろしい話ですね。)

その結果、病気をもらう事もあったらしい。

もし大谷吉継が進行性梅毒だったとすれば…彼もそういった行為をしていたという事ですね。
(あまりイメージに合わないですが…。)

まあ、この戦国時代というのはあまりモラルを感じない所がありますしね。

例えば、家来は毎朝お城に登城したりする訳ですが、その折にすでに酒に酔っている人なんかも結構いたそうですしね。

現代人からしたらちょっとあり得ないと思える行為も、当時では普通だったんでしょうね。

大谷刑部はライ病だったのか、進行性梅毒だったのか、どっちなんでしょうね…。


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posted by たか at 03:28| Comment(0) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月02日

武田家の盛衰

日本の戦国時代において恐らく最強を誇った武田軍。

この軍団には名将と言われる人が数えきれないほどいます。

しかしながら信玄亡き後、かなりもろく崩れ去りますね。

それは武田勝頼の器量が足りなかった等と言われていますが…。

実はもっと現実的な理由がありました。

武田家の名将達をつなぎとめていたのは、領地から産出される金だったんですね。

一説によると大将首を取ると1500万円位もらえたそうです。

そらやる気出しますよね。

世の中、大金がかかるほど人をやる気にさせるものはないですからね。

そんな武田家が衰退を始めるのは勝頼の代からですが、この頃になると領地からの金の産出量が激減しているようですね。

しかし、さすがは戦国時代!恐ろしや。

この金が激減した武田家に対し、小山田信茂(信玄の従兄弟)、穴山信君(信玄の甥)など、一門衆が離反してますからね。

そう考えるとちょっと怖い時代ですが…。

ただ、確かにトップの器量の差はあったんでしょうね。

武田信玄と武田勝頼では器量が違いすぎる…。

というか、武田信玄なんてバケモノを親に持った勝頼が不幸だったのかも知れませんが…。

武田信玄という男は本当に頭の良い男だったんですね。

例えば、「武田の赤備え」と言えば戦国時代でも一二を争うほど有名な最強騎馬軍ですが、これは信玄(もしくはその側近)が考えたイメージ戦略だったんですね。

どういう事かというと、赤備えは戦争が始まって、勝敗が決するまでまったく動かないんですね。

武田軍の勝利が見えた時点で動き出して、的に大ダメージを与える訳です。
(当然、敵は崩れているのでそこに今まで戦場にいなかった部隊を投入されたらさらに大きく崩れますよね。)

これを繰り返す事により、「武田の赤備えが動いた時は、戦争が終わる時。」というイメージを持たせる訳です。

これにより、「赤備えは最強の部隊。」、「赤備えは死を呼ぶ部隊。」といったイメージが広まっていき、ついには「戦国最強の部隊」となった訳ですね。

情報戦を効果的に使った武田信玄はやはり戦国屈指の名将ですね。


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posted by たか at 01:26| Comment(0) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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