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2009年12月09日

私の中の宮本武蔵

宮本武蔵は昔からかなり人気のある剣豪だと思います。

が、私はあまり興味がありません。

というのは、1度も宮本武蔵の本を読んだ事がないのです。

まあ、プロフィール的には知っていますが…。

勿論、有名な「巌流島の決闘」も知ってますよ。

じらし戦術で佐々木小次郎に勝ったって事も…。

恐らく、武蔵に対して最初に私の耳に入ってきたのが「巌流島」だったと思います。

だからこそ興味が湧かなかったのでしょうね。
(まあ、フィクションかも知れませんが…。)

策を弄している所がどうもしっくりこなかった訳です。

というのも、戦や暗殺であれば策を弄することが当たり前ですし、当然なんですが佐々木小次郎との決闘は、要は腕比べ。

「佐々木小次郎より俺の方が強い!」って事を証明する場であったはずなんですが、そこに策を弄する辺り、負けを認めているような物。
(だって腕比べでしょ?)

自分が強いと思うのであれば正々堂々戦えって。

この気持ちが武蔵に興味を抱かない原因ですね。

そのうち、武蔵という人物について色々と異説が耳に入ってくるようになりました。

例えば、武蔵は江戸時代の身分制度でいくと「えた、ひにん」の出だった為、試合を挑んでもあまり受けてくれなかったとか、相手が厠に行っている所を狙ったとか…。

そもそも、巌流島にしても、佐々木小次郎は青年のイメージがありますが、実は70代の爺さんだったとか、小次郎との決闘の場所に先に入り込み、自分の手下をほうぼうに潜ませ、もし自分が負けそうだったら皆で寄ってたかって小次郎を殺そうとしていたとか…。

まあ、真偽のほどは判らないですが、そういった雑音ばかり入ってくるとますます武蔵から興味が無くなっていきました。

勿論、歴史には正論(通説)と奇(異説)があるものですし、私の歴史に対する考え方は「まずは通説を読み、その後異説を読むべき。」と考えてます。

しかしながら武蔵に対しては通説を読むまでの興味がわきませんでした。

そんな私が武蔵を語るのはなんですが…。

武蔵の流派「二天一流」、要は二刀流。

これって実戦向きではないと思ってます。

日本刀って案外重いですよね。

それを2本(1本は短いとしても)振り回すのは容易なことではないと思いますし、大体、片手で人を斬れたのでしょうか?
(刃筋を定められたのでしょうか?)

なんか微妙な気がします。

現に武蔵って関ヶ原で石田方で出陣してますが功績が無いですよね…。

やっぱり、興味を持てません。


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posted by たか at 03:19| Comment(1) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月08日

私の好きな軍師ランキング(日本戦国)

以前、私の友人に「独断と偏見の軍師ランキングを書いて」というリクエストを受けましたが、これが難しい。

というのはまず「どこまでを軍師とするか」とか、「一般的に知られている事(私が知っている事)は真実なのか?」とか、「私の読む勢力が偏っている。」とか言った理由が…。

また、戦国武将というのはこの時代が好きな人は多くの思い入れを持っていたりするものですし、美化してしまう所もあります。
(私もそうです。)

色々と難点があり、記載してませんでした。

ただ、本日もヘルニアの為、実家におり、資料不足もあってこういった事(資料がなくても書ける事)を書いてみたいと思います。

そこで、「私の好きな軍師」という事で記載します。

5位までを挙げると以下の通り。

1位竹中重治
2位真田昌幸
3位小早川隆景
4位大谷吉継
5位真田信繁

まず、1位の竹中重治。
半兵衛の方が通りがいいかと思われます。

この人が好きなのはまず、17名(16名という説も…。)で、しかもたった1日で稲葉山城の乗っ取りを成功させたという知略。
(ちなみに、織田信長はこの城を落とすのに約7年かけてます。)

美濃の国は斉藤道三が治めていたのですが、その子、義龍に責め殺され、その義龍が急死した為、若年の龍興が後を継ぐことになります。

しかしながら、この龍興が凡庸。

一部の側近をかわいがり、酒色におぼれる日々…。
そんな中で、竹中半兵衛は「女のような」と表現されるほどなので、武芸が優れているように見えず、バカにされていたそうです。

ある日、城から出る際に門の上からこの側近に小便をひっかけられます。

そのまま何も言わず帰宅し、弟の久作が稲葉山城に人質としていたので、文を出し病気と偽らせ、半兵衛は病気見舞いという事で16名の配下とともに城に入城します。

その際に「見舞い品」と称して長持ちを持って入るのですが、その中身は実は武器。

夜遅くに部下と一斉に「敵襲!」などと騒ぎながら城内の人々を斬りだします。

それにあわてた龍興は側近と共に城を落ち伸びてしまい、以降半年ほど、その城を治めます。

秀才を怒らせると怖いですね。

その折に信長から「美濃半国を与えるから城を明け渡せ」というような話がきますが、「主君を諌める為にした事」といって軽くあしらいます。

結局、言葉通り、主君龍興に城を返し、自分は隠居。

その後、秀吉の軍師となり、大活躍も、三木城の籠城戦の際、労咳で死んでしまいます。
(さらりと書くつもりが長くなってしまいました。)

この他色々とエピソードがあるのですが、私はこの知略にしてこの無欲という所がやはり1番好きな所です。
(まあ、日本人の軍師のイメージは三国志演義の諸葛孔明ですからこういった人は好きですよね。)

秀吉は、半兵衛の死後「半兵衛が生きている時は世の中に不可能な事はないと思った。」といったそうです。

2位の真田昌幸。

この人は弱小勢力にありながら、全身全霊で生き残りを図り、色々な大名と手を結んでは手を切るという節操のなさから「表裏比興の者」なんて言われてしまいます。

しかしながら、この人の采配は本物。

まず、色々な大名と手を結んだといいますが、それは自領を守るため。
しかもその全ての博打に勝ってます。
(関ヶ原を除いて…。)

関ヶ原の折は、東軍本体(秀忠軍)を足止めし、関ヶ原の合戦に間に合わせなかったという大活躍。

本当に素晴らしい、采配型の軍師と言えます。

次に小早川。

この人、政戦共に優れた所を見せ、先見の明も凄かった。
一番有名な所は本能寺の変に際し秀吉が毛利と和議を結び退却していった際、「信長死す」という知らせが入り追撃を主張する家臣達の中で一人「秀吉に恩を売れ」との進言。
これが功を奏し、毛利家の所領は安泰。五大老に抜擢という運びになりますよね。
凄い。

4位の大谷吉継。

この人、秀吉から「百万の大軍を指揮させてみたい」と言われた程の人。
(でも実際指揮した事はない。)

凄いのは関ヶ原において三成の負けと負ける要員を全て分析しながら三成についた所。
バカですが、その心意気が好きです。

ちなみに、関ヶ原前哨戦で前田利長を北陸に閉じ込めてもいます。

5位の真田信繁。

一般的には幸村で通ってますね。

この人、私としては軍師ではないのですが…。
(ベスト5にしたので入れました。)

いや、知略は持ってますよ。
また、武勇、兵の指揮も素晴らしい。

でも軍師じゃないっていうのは、軍師は主君に自分の策を実行させてこそ軍師。

淀の君にやられているようでは…。

でも、多分にもれず、好きな武将です。

以上がざっと挙げた私好みの軍師です。

ちなみに、山本勘助や最近はやりの直江兼続、片倉景綱、黒田官兵衛等々はあまり好みではありません。

勘助はやはりキツツキの戦法で失敗し責任を取って討ち死にという最悪な最後を残したのがちょっと…。

直江、片倉は私にすればちょっと戦のにおいが薄い。

官兵衛は野心が強すぎ!

等々です。

好き勝手に書きました。

恐らく今後も1位、2位は変わらないと思いますが、3位以下は変わるかも…。

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posted by たか at 02:43| Comment(0) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月05日

日本人とわび茶

昔から日本には茶の飲み方みたいなものがあります。

それは色々と流派があり、私はあまり詳しくないですが何かが違うのでしょう。

ちなみに、わび茶を完成させたのは千利休とのことですね。

この人、秀吉に切腹させられますが…。

戦国時代当時、大名に茶頭として使える茶人が増えました。

当時の大名は、同盟国の大名や、家臣の中で功績のあった人を招いて、茶をふるまうという事が頻繁にあったようです。

その席には当然茶頭が同席し、茶を点てる訳ですよね。

その席で内々の話が行われたりする事もしばしば…。

すると、あの当時の茶人はかなり国内の情勢に精通してたと言えます。

また、有名な大名の茶頭になると、一流の茶人という事で、その人の認めた茶器は相当な価値になる。

これを利用したのが織田信長ですね。

彼は家臣が功績をあげる際に土地をやり続ければ、自分が食われてしまう事をしっかりと理解してたのですよね。
(ただ単に吝嗇という話もありますが…。)

それを茶器にすり替えた。

例えば、城を一つ落としてきた家臣に名物茶器を褒美として与えれば、こんなに安いものはないですよね。

そうすることによって、自分の土地と利益を守ったんでしょうね。

千利休の切腹については諸説ありますが、秀吉からすれば、国内情勢に精通してしまっている千利休が次第に疎ましく思えるようになったのが根本的な所でしょうね。

ちなみに、外国の方々から見れば、わび茶というのは本当に奇妙に映るようです。

狭い部屋に入って、飾り付けはできるだけ質素にして、茶を出されたら茶器を回して、柄のついた所を相手に向けて飲む。

というような風習は不思議でしょうね。

これには訳があるんですよ。

例えば、中国で始まった茶が日本に伝来される訳ですが、中国の河は濁ってます。

清流が少ない訳です。

そこで、そのまま飲むには抵抗があり、味付けをしたというのが茶の始まりと聞いた事があります。

西洋のコーヒーや紅茶も同じような理由から始まったと聞いた事があります。

そこで、日本に立ち返ると、日本は殆どが清流な訳です。

茶という味付けは必要なく、そのまま飲める訳です。
(現に多くの人がそのまま飲んでいたのですから…。)

そこに茶が入って来た。

その茶を飲むのに、何か特別な理由が必要だったんですよね。

そこで、現代にも残る茶道の源流となるわび、さびを感じながら、お茶を一服といった形が出来上がったそうです。
(ちなみに、この話は私が学生の頃に授業で「先生がそんな事を言っていた」という話を元にしてます。真偽のほどは知りませんが、妙に納得したのを覚えてます。)
posted by たか at 04:18| Comment(0) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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