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2010年09月18日

桜田門外の変

幕末の暗黒部分の幕開けと言っても過言ではない、桜田門外の変。

これはすごい事ですよ!

以前、このブログで「内閣総理大臣が殺されたようなもの」と書きましたが、正確には「副総理が殺されたようなもの」と言うべきでしょうか…。
(帝と天皇をイコールに考えると、内閣総理大臣は征夷大将軍ですもんね。)

何が凄いって…。

そんなVIPが暗殺されたというのも驚き(SP達もいますしね。)ですが、その暗殺を企てた18人の内17人が水戸の脱藩浪人というのが凄い所です。

水戸藩というのは、徳川家には御三家というのがあり、それが尾張、水戸、紀伊の三藩なんですね。

徳川本家に世継ぎが出来なかった場合、それらの藩から世継ぎが選ばれる形になります。

有名な所では徳川吉宗(米将軍、暴れん坊将軍)が紀伊徳川家、徳川慶喜が水戸徳川家出身ですね。

そんな、徳川本家を支える立場にある水戸の脱藩浪士が徳川幕府の屋台骨である大老を暗殺するんですからね。
(まあ、井伊直弼の首を取ったのは薩摩の脱藩浪士有村次左衛門ですが…。唯一の水戸脱藩浪士ではない人ですね。)

元々はペリーの来航に始まるのですが、井伊直弼が独断で帝の勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し、徳川家茂を将軍継嗣にしたりした事に対して反対する人達を弾圧、処分した安政の大獄に始まります。

安政の大獄に対する反撃として井伊直弼暗殺に至った訳ですが…。

多くの暗殺が横行した幕末の中で、この桜田門外の変はちょっと異質な暗殺となります。

というのも、幕末の殆どの暗殺が刀でのものだったのに対し、この桜田門外の変はピストルが用いられているんですね。

浪士の一人が襲撃開始と共にピストルを井伊直弼の駕籠に放ち、これが直接直弼の体に命中したようなんです。

その為、井伊直弼はなすすべなく首を奪われる事になったそうです。

しかも、直弼の共周りの人たちもその銃撃におびえて反撃する者が少なかったそうです。

以降、幕末の暗殺でピストルが用いられたのは坂下門外の変くらいだそうです。

ちょっと意外ですよね。

何故、ピストルが暗殺にあまり用いられなかったかと言いますと…。

元々、桜田門外の変でもピストルが暗殺の決め手となった事は長い事無かった話になっていたんですね。

というのも、開国に反対する浪士達が欧米の兵器ピストルに頼った事を恥じていた為、ピストルの使用については話さなかったそうです。

桜田門外の変以降、多くの暗殺が横行しますが、そのほとんどが刀で行われたのは実は、こういう訳があったんですね。
(尊王攘夷を唱える自分達が欧米の兵器を使うわけにはいかないと…)

成程という所ですね。

ピストルは暗殺に有効な兵器だけれども、尊王攘夷を唱える自分達は欧米の武器に頼れない…。

当時の武士の葛藤が聞こえてきそうなエピソードですね。




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posted by たか at 02:07| Comment(0) | 幕末 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月17日

石田三成の才覚

この所、幕末ネタ、三国志ネタばかりで、全く戦国時代ネタを書いてませんでした…。

という事で!!

強引にネタを作ってみました。

先日、何かのテレビで見ましたが最近の教科書には豊臣秀吉よりも石田三成の方が多く出てくるそうですね。

「へぇ〜」って思うのと同時に、「どうかしてるぜ!日本の歴史教科書!!」って思います。

まあ、関ヶ原の部分で多いんだと思うんですが…。

秀吉は三成の主君ですよ!

何故に負けるんだろう…。

秀吉は天下統一したし、太閤検地、刀狩り、利休の切腹、朝鮮出兵等々…。

教科書に取り上げられそうなネタも三成よりもかなり多いと思うのですが…。
(三成って朝鮮出兵と関ヶ原くらいでしょ?まあ、太閤検地にも絡んでますが、そこまで教科書で書くとは思えないし…)

この事実、私はほんとうに???ですね。

前置きはこれくらいにして…。

じゃあ、石田三成ってどういう男なんだろう…と考えた時、私にはあまり良いイメージがありませんね。
(多くの人もそうだと思いますが…)

秀吉の側近として、太閤検地等に関わり、かなりの頭の切れを発揮した男なんですが、その後はダメダメですね。

以前なにかの映画で(「梟の城」だったと思いますが…)三成がぼけてきた秀吉を上手い事使っているシーンを見た事がありますが、私のイメージも結構そんなところですね。

この人が崩れだすのは、恐らく秀吉の朝鮮出兵の頃からでしょうね。

この頃から加藤清正や福島正則といったいわゆる武断派の人達との溝が深くなっていきますし…。

この人のええ加減な対応が気になる所です。

明や朝鮮からの使者と秀吉の間に立って、どちらにもいい事を言い(要はちゃんと通訳をしないで話している事を捻じ曲げて場を取り繕うとした)、その結果、再度の朝鮮出兵となり、そこでも講和を進めようとするんですが、不調に終わってます。

三成から言わせれば「豊臣家の為にやった事」となるんでしょうが…。

私に言わせれば、「豊臣家の為を思うのであれば、一番やってはいけない事」です。

小手先の口車で盤石な講和を結べるわけがない。

すぐに再戦となりますよ普通。

また、武将としての才覚は…。

これがまたひどい。

関ヶ原の際も総大将は毛利輝元なんですが、実際の総大将は三成のようなものでした。

この時点で、もう関ヶ原は負けているんです。

三成の才覚云々以前に、全国的にも小規模の領土しか与えられていない大名が大大名達を動かすんですから…。

そういう立場であるにも関わらず三成は軍議で島津や他の大名が提案した夜襲を一蹴したり、その他の策も取り入れていません。

大名側からすれば、格下の大名に自分の提案を一蹴される訳です。

こら、やる気をなくしますよね。

しかも、戦の経験の少ない青二才に…。

本当に身の程をわきまえない男です。

また、関ヶ原にしても…。

大垣城に寄り美濃にて家康軍を食い止めるはずが、そこは攻城戦の苦手な家康。

あえて西に向かい、その動きをみた三成が決戦の地を関ヶ原と踏み、先に現場について有利な土地を占拠しようとして夜通し駆けて、先に到着、見事な迎撃の陣を敷きます。

ここも、武将としてダメな所なんですが…というか戦の経験のなさというか…。

まず、有利な地形を占拠するのは戦の常識ですが、夜通し駆けて早朝から戦というのは、かなり無理な話です。

人はサイボーグではないんですから…。

さらに軍議での態度から、積極的に協力してくれる大名をかなり減らしています。
(実際に戦の際、鶴翼の陣の右翼は全て家康に寝返り、島津は全く動かなかったですからね。)

これではどうあがいても勝てるわけがありません。

この一連の流れを見ると、この人は野戦の将としては最低ランクの武将だと言えますよね。

机上では正しい事も、実際にそれを実行するにはタイミングや条件によって正しくなくなる事もあるんですね。

そこが分かっていない、悲しき秀才ですね。

この石田三成を思うたびに、永田町に巣食う官僚達と全く同じだなと感じてしまいます…。

能力は認めるが、なんとなく好きになれない武将です。



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posted by たか at 02:58| Comment(0) | 戦国時代(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月14日

ナスカの地上絵が危機!!

先週、YAHOOで見た記事の影響で「死海文書」と「アトランティス」という、このブログにはちょっとふさわしくないかもしれない話題を記載しましたが、今回も、ちょっとふさわしくないかもしれませんが、その折に見た記事の一つから記載します。

ナスカの地上絵はご存知ですよね?

174410003793.jpg

一応、概略を述べると…。

1939年に、アメリカの考古学者のポール・コソック博士によって存在が明らかにされたもので、ナスカおよびフマナ平原にあり、首都リマの南400km、太平洋岸から50kmの不毛の約450平方kmにわたる広範囲に書かれた大きな絵です。

海抜500mの乾燥した大平原に、ハチドリ、コンドル、オウム、ペリカン、猿、犬、トカゲ、クモなどの生物、魚、花などの植物、或は、数kmの長さの幾何学様式の人物のみならず架空の人物の地上絵を描写しています。

ちなみに、インカ期のナスカ文明によって作られたものだそうです。

年代で言うと、紀元前500年から期限後500年に描かれたものとされています。

これらの巨大線画は、連続性、数、性情、サイズの点から言っても考古学的に不可解な謎とされています。

今の所、星座等の天体と結び付いた暦の役割をしていたものと信じられているそうです。

しまった。殆どその記事のままだ…。

ちなみにその記事は、

「ナスカ及びフマナ平原の地上絵」

http://worldheritage.travel.yahoo.co.jp/detail.html?wc=1744

です。

ドイツの女性数学者マリア・ライヒェが現地に移り住んで、私財を投じて巨大絵の解読作業と保護活動に取り組んでこられたそうですが、1998年6月に亡くなられたそうです。

現在は、心ない旅行者の線画へのいたずら、送電線の施設や違法道路による線画の寸断、小型飛行機の墜落、エルニーニョ現象による異常気象などによって地上絵の消滅が危惧されているそうです。

正直「えっ!!」

って感じでした。

あれだけの遺跡が無くなるかも知れないとは…。

エルニーニョ現象による異常気象は仕方ないとしても、旅行者のいたずらってどういう神経してるんでしょうね。

また、小型飛行機の墜落も、地上絵を見に来た飛行機だったりする訳ですしね…。

何より、送電線の施設や違法道路による線画の寸断って…。

「なんで??」って感じですね。

その線画を横切らないといけないんでしょうか…。

異常気象のようなある意味天災で遺跡が無くなってしまうのであればまだしも、人災によって無くなるのはちょっと納得できないですね。

人がちょっと気をつければ、この遺跡をつぶすような行動にはならないと思うんですが…。

何とも悲しい話ですね。

ナスカの地上絵、なんとか守れないものですかね…。



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posted by たか at 03:43| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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